カルアミルク/『家庭教師』(1990)
ハイエクの名が最も知れ渡っている国はイギリスだろう。一九八〇年代、マーガレット・サッチャー首相がハイエクを自分の人生哲学の師と公に讃えたからだ。サッチャーが保守党党首となった一九七五年からハイエクの名声は高まり、一九七九年に彼女が首相に就任して頂点に達した。サッチャーは回顧録に、若い頃読んだ「社会主義的政策や社会主義国家に対する批判の中で最も力強いもので、その後も何度も読み返した」のが『隷属への道』だったと書いている。ハイエクの他の著作にも大きな影響を受けていて、その中でも『自由の条件』と『法と立法と自由』は「傑作」と呼んだ。
リチャード・クリケットが、ハイエクとサッチャーの最初の出会いについて書いている。
「一九七五年、サッチャーが野党だった保守党の党首になってまもなく、IEAが、(IEA本部のある)ロード・ノース街でハイエクとの初の対面をお膳立てした。サッチャーが到着すると、理事会室に案内され、そこでハイエクと二人だけで話をした。話は三〇分ほど続き、終わると、サッチャーは帰っていった。残されたハイエクは、感想を聞きたがるIEA職員に囲まれた。いつも以上に考え込んだ様子のハイエクは長い沈黙の後に、明らかに本気で、「彼女は本当に美人だ」と言った」。
保守党の調査部門の職員の一人の話では、ある時、同僚が「極端な左派路線も避けて、「中道」こそが保守党の取るべき現実的な道だという内容の報告書を準備した。その報告が終わるのを待たずに、サッチャー新党首は自分の鞄に手を突っ込み、一冊の本を取り出した。フリードリヒ・フォン・ハイエクの『自由の条件』だ。現実路線を主張する同僚を遮り、彼女はみんなに見えるようにその本を高く掲げ、きっぱりと「これこそ私たちが信じるべきことです」と言って、その本を机に叩きつけた」という。
サッチャーへの思想的な影響は別として、二人の個人的、政治的関係については多少誇張されているということもあるだろう。
「イギリスでは私は彼女の人生の師と言われているが、実際には、私は彼女には二度しか会っていない。そういわれることはうれしいが、原則として私は、政治的に可能なことは何かという考え方はしないことにしている。何が正しいかだけを考え、人々を説得するにはどうしたらいいかを考える。説得できなければ残念ではあるが、それは私には関係ないことだ」と述べている。
ハイエクがロナルド・レーガンに会ったのは、サッチャーを通じてだった。一九八二年にロンドンで、サッチャーがレーガンに紹介したのだ。レーガンはハイエクの本を一冊読んだことがあり、「それから多くを学んだ」と言ったという。
サッチャーは首相時代、下院で「私はハイエク教授を尊敬している。議員の皆さんも、彼の本を読んだらいかがでしょう」と発言したことがある。
ハイエクはイギリスの政策関連の議論に常にかかわろうとした。ノーベル賞受賞後は特に、「タイムズ」紙によく投書し、他の出版物にも記事を投稿したりした。そんな物議をかもしたのが一九七八年の投書だ。サッチャーの移民制限政策を推奨して、次のように書いたのである。
「ヒトラーの登場をもたらした暴力的な反ユダヤ主義の攻勢を経験した人間なら、サッチャー夫人の率直で勇気ある発言には賞賛の気持ちを抑えられないはずだ。私がウィーンに住んでいた頃、名を成したユダヤ人一族は尊敬されていたし、ほんの数人の有名政治家が時にユダヤ人を差別するようなことを言ったりすれば、常識ある人々は眉をひそめたものだ。そうした態度が急変したのは、・・・ガリツィア(ヨーロッパ中東部)やポーランドからユダヤ人が(第一次世界大戦中に)突然大量に移住してきたからだ。彼らは見た目が非常に特徴的で、すぐには同化できなかったのだ」。
投書が掲載されると、一週間のうちに少なくとも五つの反論が寄せられ、ハイエクは二度それに答えている。
「タイムズ」紙のコラムニスト、バーナード・レヴィンは、ハイエクは「人種差別は差別される側に問題がある。差別されないようにするためには、目立たず、貧しいままでいることだ」と論じていると書いた。
ウィリ・フリッシュウアー教授は「ハイエク教授はオーストリアにおける反ユダヤ主義の勃興を、「見た目が非常に特徴的」なポーランドのユダヤ人の移住のせいだとしているようだが、それは記憶違いか、そうでなければ、オーストリアの政治社会史について何も知らないとしか思えない」と論じた。
ジョージ・フィンク教授は、「ハイエク教授はウィーン社会の「態度が急変した」のはポーランドのユダヤ人の流入だとしているが、そう言ってしまうのは暴論である。反ユダヤ主義はオーストリアに深く根ざすものだ」と述べた。
ニコラス・カルドア(卿)はハイエクの経済学思想を批判する形でこの論議に加わり、ルース・グラスは、ハイエクの投書は「始まりからして、とんでもない歪曲である。彼は「ヒトラーの登場をもたらした暴力的な反ユダヤ主義の攻勢」と書いているが、それは逆さまだ」と書いた。
ハイエクは、文化的な面で無神経で、また、特定の国民性については固定観念があったのかもしれない。だが、人種間の肉体的特徴の違いに大きな意味があるとは考えていなかった。『隷属への道』は中央統制をグローバルな視点で批判したもので、「中央統制が白人支配を確立するための試みであり、他の人種の人々からもそう見抜かれるであろうことに疑いはない」と書いている。
一九六一年南アフリカでのインタビューで、当時そこで成立したばかりの人種差別法について触れ、「異なる人種間の差別の極端な例で、これは自由による統治とは相容れないものだ。(『自由の条件』での)私の論点は、政府による強制力の行使を可能にする法律は、社会を構成する成人には等しく適用されるということだ。宗教、政治思想、人種など根拠は何でも、差別は法の下の自由という概念とは矛盾する。これまでの経験から、分離すれども平等はありえないことは明らかである」と述べた。
「大学が厳密な意味での公的(政府予算による運営)機関である限り、誰に対しても平等であるべきというのが私の持論である。だが、完全な民間機関であれば、それには差別する権利があると言える」と述べた。
「しかし、あなたも同意してくださると思いますが、イギリスの民主主義制度では、広範囲の合意が必要で、・・・私たちが行う改革は、この国の伝統と憲法に従ったものでなくてはなりません。時にそのプロセスは気の遠くなる程ゆっくりとしています。ですが、私たちに適したやり方で、私たちに適切な時期に、改革を達成することは確信しています。そうなれば、その改革は堅固なものとして残っていくでしょう」
(マーガレット・サッチャー。一九八二年)
「私が首相になって今週で一〇年になります。その間、政府の業績について多くの人々に温かい言葉で評価していただきました。もちろん、やるべきことはまだ沢山あります。ですが、私たちを正しい道に向かわせ、正しい指針を示してくれた価値観や信念がなければ、何も達成することはできませんでした。あなたの著作や思想から学んだ指導力やインスピレーションが私たちには本当に不可欠でした。あなたにははかりしれない恩義を感じています」。
(マーガレット・サッチャー。一九八九年のハイエク九〇歳の誕生日)
(『フリードリヒ・ハイエク』-第6部 ノーベル賞 1974-1992 第37章 『マーガレット・サッチャー』。ラニー・エーベンシュタイン著。田総恵子訳。春秋社、2012年8月)
序文、第1部 戦争 1899-1931、第2部 イギリス 1931-1939、第3部 ケンブリッジ 1940-1949、第4部 アメリカ 1950-1962、第5部 フライブルク 1962-1974と抜粋して写してきたハイエク(1899-1992)の伝記に合わせたリクエストは、ようやく最終部、第6部 ノーベル賞 1974-1992。
もう後何曲だけど、持っていたり、よく聴いたりした「ダサい日本のロック」を。
女性の口調で男性が歌ったものや、男性の口調で女性が歌ったものは、どうも演歌やフォークのイメージがあるので除くけど、持っていたり、よく聴いたりしたものから。
リクエストは、今度、upset the apple cart the meeting vol. 1, 2013-4.5 Fri, "The First Cut Is The Deepest"というのをやるらしい新宿三丁目のロックバーではまだ聴いたことがない岡村靖幸。
生粋のケインジアンである新任助教授(今で言う准教授)の新設ゼミに入って、他の授業はほとんど出なかったけどいくつかの経済学書を読んで、一番共感したハイエクを卒業論文に書いた。
昼間はずっとラグビーの練習があって、アルバイトは、夜の短い時間だけしかできなかったので、塾のせんせーや家庭教師をやった。
カフェバーなんてのも流行っていて、モスコー・ミュールやボストン・クーラーやシンガポール・スリングやジン・リッキーを違いもわからず注文していた頃。
甘いジン・フィズやカルア・ミルクは女の子が飲むもので男はけっして注文しなかった。
生理的な好き嫌いというのはいかんともしがたく、マルクスの本やケインズの本やハイエクの本からはほとんどまったく同じ思想を感じたのだけど、__イストとか___イズムの信奉者からはまったく元の本から感じられたものを感じることが出来なかった。
家庭教師をしたり、カクテルに現を抜かしてたりしたので、偏狭になったのかな?と、そのあと何年かしてから出た多分90年代の日本のロックの最高峰のうちの一枚ではないかと思うこのアルバムを聴いたりもする。
岡村ちゃん。
ダサい。
Request to 『upset the apple-cart』(845)
Request to 『Common Stock』(859)
Selfish Link To My Own Blog :Shout To The Top!/『Our Favatite Shop』(1985)
:Do They Know It Christmas?/Band Aid(1984)
この記事へのコメント
社会主義者の先生が白熱教室で日本人に向かってお話されたことと同じですね!
私は資本主義者です、という言い方は普通しませんね!
資本主義というのは「主義」とか「主張」ではなく、経済の仕組みを表す言葉だと思うのですが、カール・マルクスの定義「生産手段が少数の資本家に集中し、一方で自分の労働力を売るしか生活手段がない多数の労働者が存在する生産様式」が有名ですね。「神の見えざる手」というのも有名ですが、「見えざる手」というのはアダム・スミスが『国富論』で一度だけ使った言葉です。
「神の見えざる手」(invisible hand of God)とも言いますが、『国富論』には「神の(of God)」という部分はありません(引用:wikipedia)。
ビーチボーイズが"God Only Know"という曲のタイトルを発売ぎりぎりまでGodという言葉を使っていいのか、と逡巡した話も有名ですね。
コメントありがとうございます。
誹謗中傷じゃないロックでした。
ピンク・フロイドとかエルビス・コステロとかスペシャルズとかモリッシーしかわからなくてあとは知らないバンドでした。また教えてくださいね!
ロック名曲への貢献度では、女王とマリアを別格とすると、シンデレラやアリスに並ぶかも。
男性だと、ジーザスが圧倒的ですが、KINGやHerosよりはYouが多いのは、そういうものなのかな?
どういうものか分からないですね。ご容赦です。
コメントありがとうございます。