青空(1989)/I・CAN・BE(1991)

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開店12周年記念を兼ねた ロックバーのイベント、Odde to Muse/Diva Festではリクエストされなくて、MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』では沢山の人が選んだ矢野顕子が、こんなことを言っていて、共感っていうのとはちょっと違うのだけど、ボブ・ディランもそんなこと言ってたかな?とちょっと思った。

自分が生きて何を成し遂げたいかが、結局はその人がどういう人であるかを表わしている、という事を再確認した日であった。

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明日はエルトン・ジョンのミュージカル映画『ロケットマン』を50歳以上夫婦割引きで見るつもりなんだけど、そうしたらまたエルトン・ジョンばかりリクエストしたくなると思うので、ロックバーのDIVA/MUSE FES.から、日本の女性ボーカルの曲を6曲。

ほかにラナウェイズスージー・クアトロをリクエストした Profさんのリクエスト。

息もできない(1998)/『永遠』(1999) ーZARD

ほかにブリジット・フォンティーヌミリー・リパートンをリクエストした G-W-さんのリクエスト。

マロニエ読本/『改造への躍動』(1982)- ゲルニカ

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ほかにBlue King Brown:ブルー・キング・ブラウン(女性ボーカル:ナタリー・ライズ)とビョークをリクエストした Syakunageくんのリクエスト。

二時間だけのバカンス/『Fantôme』(2016) ー宇多田ヒカル featuring 椎名林檎

ほかにレディトロン:Ladytron(女性ボーカル:ヘレン・マーニー、ミラ・アロヨ)と Wolf Alice::ウルフ・アリス(女性ボーカル:エリー・ロウセル)をリクエストした GoToさんのリクエスト。

ニュートンの林檎/『溜息の断面図』(2017)- ハルカトミユキ

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ほかにカーリー・サイモンジャニス・ジョプリンをリクエストした akichan!さんのリクエスト。

空へ(1977)ーカルメン・マキ&OZ

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ほかに山口百恵大橋純子をリクエストした Gamiさんのリクエスト。

孤独なハリケーン(1987)- 本田美奈子

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町山智浩さんや和田靜香さんの映画評を読んだだけで宣伝はあまり見ないようにしているんだけど、『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)との比較も楽しみで、そうしたらまたエルトン・ジョンばかりリクエストしたくなると思うので、MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』


女性ボーカルをたくさん選んだ人の選んだアルバムのうち女性ボーカルのと、今回の投票に関しての選評、ランキング結果を見た感想、シーンに対する思いなど。
敬称略で。

【近藤真弥】
(第2位:PINK/CHAI、第3位:Fantôme/宇多田ヒカル、第5位:VARIETY/竹内まりや、第8位:ウェルカム・プラスチックス/プラスチックス、第10位:METAL RESISTANCE/BABYMETAL、第14位:女性上位時代/ピチカート・ファイヴ、第16位:黒船/サディスティック・ミカ・バンド、第19位:GAME/Perfume、第20位:愛は思うまま/吉田美奈子、第21位:Queen of Hip-Hop/安室奈美恵、第22位:み空/金延幸子、第28位:KOIZUMI IN THE HOUSE/小泉今日子、第29位:人気者で行こう/サザンオールスターズ、第35位:キャベツ/スーパー・ジャンキー・モンキー、第35位:生命力/チャットモンチー、第38位:天までとどけ/中村中、第39位:YESTERDAY TODAY FOREVER/GWINKO、第41位:Phew/Phew、第43位:3/tricot、第45位:STEP BY STEP/森高千里、第47位:MORE! MORE! MORE!/capsule)
<ジョン・レノンの追悼曲も入ったサザンの『人気者で行こう』(1984)は原由子のボーカル曲「シャボン」が好きなので。中村中は選んだのが一人だけだと思うので>
何十年後かに今回のような企画があったとしたら、より存在感を強めているだろうという作品を中心に、リストを作成しました。たとえば1位の『球体』は、日本のポップ・ミュージックのあり方を変えた作品として、曲がりなりにもライターや批評家と呼ばれる身なので、そうした予想をしなきゃと思いました。評価が確立された作品を並べるだけなら、誰でもできますからね。

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女性ボーカルを少しだけ選んだ人の選んだアルバムのうち女性ボーカルのと、今回の投票に関しての選評、ランキング結果を見た感想、シーンに対する思いなど。
敬称略で。

【大谷隆之】
(第11位:JAPANESE/矢野顕子、第17位:SPARK/上原ひろみザ・トリオ・プロジェクト、第30位:家族行進曲/ハンバート ハンバート、第36位:JaPo/UA、第45位:ひこうき雲/荒井由実
なにせ数が多いので、自分なりに聴き込み血肉化した手応えのあるアルバムから選びました結果、歴史的な評価と思い入れが混じり合った50枚になってしまったと思います。あえて共通点を挙げるなら、日本語という、音素が多いとは言いがたい言葉との格闘の跡が感じとれる作品でしょうか。海外からの刺激を受けることで自分たちのルーツ(あるいはその不在)と向き合った邦楽に自分は惹かれるのだなと、改めて。

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小野島大
(第18位:ひこうき雲/荒井由実、第19位:SWEET 19 BLUES/安室奈美恵、第38位:N/にせんねんもんだい、第40位:玉姫様/戸川純、第44位:TOKYO BLACK HOLE/大森靖子)
50枚選ぶだけでも至難なのに、順位をつけるなんて不可能。アルバムという単位のみで日本の音楽の50年をランクづけるのはそれ以上に困難だ。なので割り切って選出し無理やり順位付けした50枚。"はっぴいえんど史観"に偏りすぎた選出に一石を投じるつもりで投票したが、残念ながら多勢に無勢でした。音楽は進歩も退歩もしないけど、時代状況によって受け取り方が大きく変わることを実感した。

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来日インタビューで8歳の時に聴いた『Hunky Dory』(1971)の『流砂(Quicksand)」「クークス(Kooks)」がとても好きだったと応えていた、エルトン・ジョンを演じたタロン・エガートンがこんなことを。
ちょっとずつ訳が違ったりもするんだけど、女性ファッション雑誌の。

ただ、これから先はもっといろんなことに挑戦したいし、家族を作ったり、大事なこともたくさんあるかもしれないけれど、言えることは「いまの自分は決して嫌いではない」ということ。それに、人はつねに変化しているものであって、たとえば18か月前の自分といまの自分は全然違いますよね? でも、人生ってそういうものなんじゃないかなと思っています。
(ananweb)

僕の日本のロック96枚(126枚)は、もう少し成人してから、結婚するまでの。

ボ・ガンボスのDr.Kyonがピアノを弾いたり、真島昌利ボーカルのパンクがあったり、RCサクセションみたいな曲も。

「TRAIN-TRAIN」「僕の右手」「ラブレター」も好きだけど、

青空/『TRAIN-TRAIN』(1988)-ザ・ブルー・ハーツ

おかげ様ブラザーズを憧れのミュージシャンと言ったそうだが、無名時代にお客さんを集めるために京都のライブハウスの前座を務めてもらったことを恩義に思って(きんた・ミーノ)だそう。

I・CAN・BE(1985年シングルの再録音)/『K2C』(1991)-米米CLUB


87枚目/88枚目/96枚(126枚)は、男声のバンド。
1曲づつリクエスト。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3295,3296)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3309,3310)

Runner(1988)/今すぐKiss Me(1990)

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開店12周年記念を兼ねた ロックバーのイベント、Odde to Muse/Diva Festではリクエストされなくて、MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』では志田歩さんだけが1枚選んだだけのヨーコ・オノが、こんなことを言っていて、共感っていうのとはちょっと違うのだけど、ジョン・レノンも生きていれば似たようなことを言ったかな?とちょっと思った。

私には 私であるって いうことが 面白いこと 興味あること
仏教徒 私は違う そしてまた なんとかイストや イズムじゃない 
なんとか主義じゃ ないのよ私は
そういう一般 用語って 命っていう 複雑さ とっても抱え きれないわ


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ロックバーのDIVA/MUSE FES.から、FUKUさんの3曲。

1/f /『turbulence』(1992)-SYOKO

『風の谷のナウシカ』(1984)とか『Wの悲劇』(1984)とか『天空の城ラピュタ』(1986)は封切られた高校生や大学生の時に映画館に行ったわけではないけどTVで何度か見て、映画音楽をやっていた久石譲はレコードやCDは一枚も持ってないけど知っていた。
この前の『千と千尋の神隠し』(2001年)も何度目かのテレビ放送。
久石譲がプロデュースした『SOIL 未来の記憶』(1986)-SYOKOは全く知らなくて、初めて聴いた。

Saja Dream/『鉄塔 武蔵野線』(1996)(おおたか静流、内橋和久)-おおたか静流

NHKでやった『この世界の片隅に』(2016)は録画しながら「悲しくてやりきれない」のカバーも流れるオープニングから最後まで見て、録画でも2回見た。
おおたか静流の「悲しくてやりきれない」も、沖縄の歌のようで、いいな。

犬を捨てに行く/『心のすみか』(2001)-谷山浩子

実はプログレ。

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人数だと一番数が多いのは、原田和典さんだと思うけど、アルバムの枚数だと、こちらかな?
選んだアルバムのうち女性ボーカルのと、今回の投票に関しての選評、ランキング結果を見た感想、シーンに対する思いなど。
敬称略で。

【石川真男】
(第1位:柳郡芸妓/RYUTist、第2位:CARTA/Especia、第3位:3776を聴かない理由があるとすれば/3776、第4位:ランプ幻想/Lamp、第5位:Ⅰ/バッファロー・ドーター、第7位:スウィート・ピチカート・ファイヴ/ピチカート・ファイヴ、第8位:黒船/サディスティック・ミカ・バンド、第13位:火星ちゃんこんにちは/ハバナ・エキゾチカ、第14位:Surfbank Social Club/一十三十一、第16位:absolute ego/Aco、第17位:Rice & Snow/Negicco、第19位:Freak Smile/スパンク・ハッピー、第20位:てん、/クラムボン、第22位:Mr.Noone Special/Cymbals、第23位:草木萌動/長谷川白紙、第24位:AINOU/中村佳穂、第25位:T H E/tricot、第27位:アラートボックス/トルネード竜巻、第28位:月の反射でみてた/宇宙コンビニ、第29位:峠のわが家/矢野顕子、第30位:DELICIOUS/Tweedees、第34位:LOVE/中島美嘉、第37位:Gemini/WHY@DOLL、第38位:GAME/Perfume、第41位:勝訴ストリップ/椎名林檎、第44位:トリコロル/キタキマユ、第45位:Different View/PSY・S、第46位:初恋/宇多田ヒカル、第48位:サングローズ/Cocco、第49位:EXPO EXPO/m-flo
<バッファロー・ドーターは女性ボーカルとは言えないかもしれないけど、結構歌ってるので>
前号のAOR/ヨット・ロックに比べれば、その選盤対象は実に明確である。だが、その範囲があまりにも広大であるがゆえに、そこから抽出したリストには選者の音楽観や音楽体験、あるいは音楽語彙が如実に表れていることだろう。もちろん、筆者のセレクトにも大いに反映されている。いや、敢えて反映させている。いずれも紛うかたなき名盤ばかり。もしもこのリストが読者の皆さんの音楽探訪の一助となれば幸いである。

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女性ボーカルの選盤が一番少ないのは行川和彦さんって言ったけど、嘘だ。
ranked vote(優先順位投票)だと配点によって違うけど、こちらかな?
選んだアルバムのうち女性ボーカルのと、今回の投票に関しての選評、ランキング結果を見た感想、シーンに対する思いなど。
敬称略で。

【坂本哲哉】
(第1位:鏡の向こう側/高田みどり、第23位:Phew/Phew、第50位:ニュー・ロック/バッファロー・ドーター)
<バッファロー・ドーターは女性ボーカルとは言えないかもしれないけど、結構歌ってるので>
日本の電子音楽、そのなかでも、今、世界的に注目されているということもありますが、ポップかつヴィヴィッドに聞こえると思えるアンビエント・ミュージックを中心に選びました。ランキングには入りませんでしたが、高田みどり、INOYAMALAND、芦川聡、吉村弘などのアーティストはその音の可能性も含めてもっと評価/注目されてもよいと思っています。あと、細野晴臣のアンビエント・サイドも。

あ、一枚だけっていう、こちらかな?

【山口智男】
(第20位:生命力/チャットモンチー)
ナンバーガール、凛として時雨、毛皮のマリーズなんかは女性メンバーがいるけど、女性ボーカルでないので今回は対象外>
個人的な思い入れと編集部から言われた音楽作品としての評価のバランスを取りつつ、だからって本気で、いいと思ったことがないアルバムを選ぶことはできないと葛藤しながら50枚を選んだ結果、『狂い咲きサンダーロード』『爆裂都市 BURST CITY』にロック観を作られた10代の頃と根っこでは変わっていないことに改めて気づいた。それで損したこともあるような気もするけど、後悔はありません。

(注1)『狂い咲きサンダーロード』は1980年、監督:石井聰亙、出演:山田辰夫、中島陽典、南条弘二、小林稔侍 他。音楽は泉谷しげるPANTA&HAL
(注2)『爆裂都市 BURST CITY』は1982年、監督:石井聰亙、出演:陣内孝則大江慎也、戸井十月、町田町蔵泉谷しげる 他。

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小学校の高学年の時に、両親の本棚や箪笥はあったけれど、初めて自分の部屋っていうのをもらって、大学を卒業して就職してからも大阪の独身寮から神戸に時々帰った。
実家の自分の部屋には行かずに、付き合っていた彼女の家(彼女は家族で住む自宅から一駅の幼稚園に勤めていた)に泊めてもらったり、僕が仕事のことでイライラしていて不機嫌なまま三宮(さんのみや)で1時間だけ会ってやたらと高い飯(メシ)を食ったり(デート代は全部僕が出した。お洒落をしたり、お弁当を作るのは彼女なのでそれが普通だと思っていた/思っている)、彼女が疲れ切って肩をもんであげていて(僕の職場は就職したのが半ドンから週休二日に変わった年で、幼稚園はその後もずっと土曜日もあった)そのまま寝てしまったり

僕の日本のロック96枚(126枚)は、ちょっと遡ってその頃の。
ロックバーでも聴いたことがないし、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』にも選ばれていないやつ。

東の爆風、西のローザって言われてたかな?

Runner/『HIGH LANDER』(1988)-爆風スランプ

シングルはまだ作詞家・作曲家だったけど、メンバーの曲が増えてきた、

今すぐ Kiss Me/『LINDBERG Ⅲ』(1990)-LINDBERG

85枚目/86枚目/96枚(126枚)は、男声のバンドと女声のバンド。
1曲づつリクエスト。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3293,3294)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3307,3308)

日なたの窓に憧れて/窓/1991

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平成の最後のひと月の終わり、ロックバーのイベント:バイバイ平成投票を振り返っている最中(さなか)に写し始めたMUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』は、50人の選者のうちちょうど半分の25人。

選んだアルバムの転載はかなり抜粋してるので1184枚/(50人×50枚=)2500枚のうちどこまでかっていうとちょっと説明できないけど、途中で七夕(たなばた)のイベントでもあるDIVA/MUSE Fes.:女性ボーカル特集もあって、女性ボーカルのアルバムを選んで転載したり、女性選者の選んだ女性ボーカルのアルバムを転載したり。

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基本的には時期や場所の制約がないデモとともに、現代民主制/民主政の2つの建前:たてまえ(主要な柱、梁:はり)である(丸山眞男)、こちらは時期や場所が細かく決められている選挙。
僕は(単に二十歳になったってだけなんだけど)選挙権を得てからは、選挙運動はわりと熱心にじっくりと見る方だけど、政治をやってもらいたいと思う人が候補者の中にいればその人に投票する/いなければ投票しないっていう選び方で(熱心に向かい合っている/取り組んでいるとは言えないよね)、今回の参議院議員選挙そんな感じ
でも、選ばれた人も選ばれなかった人も、その時の政党の考えや選挙人の考えなんかも、記憶にはしっかり残る

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2週間ほど日記は書いていなかったんだけど、結構 twitter で自分の昔の日記を読んだり、ミュージシャンやロック・ライター(こんな言葉ないけど)をフォローしたりしていた。

そんな中から、いつどこでの発言かはっきり分からなかったけど(2017年7月終わりのtwitterかな?)細野晴臣のツイートを自分の昔の日記と合わせて転載したりした。

戦争放棄なんて、奇跡的なことなんだ。笑っちゃうくらい。よくそんなことが書かれたなと思うわけ。だからこそなくなったら二度とつくれない。だって非現実的だから。だからこそ、絵空事でもなんでもいいけど、その文面は残しておかないといけない。(細野晴臣)

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ちょっと中途半端なまんまの 開店12周年記念を兼ねた ロックバーのイベント、Odde to Muse/Diva Fest. のレポートは どうしようかな?
1ヶ月も間(あいだ)が空いてしまって間(ま)が抜けているかな?今さら間抜けかな?

いつものようにみんなの投票も改めて紹介したいと思うけど、僕の期日ギリギリのリクエストはこんなの。
かかった順(曲の長い順)。
ちょっと下手くそな日本語訳。出来る限りの直訳で。五七五だか、七五調だかで。

Dreams/『Rumours』(邦題:噂)(1977)-Fleetwood Mac

貴方の夢を 大切に 包んであげる そんなこと
思っているのは 私だけ なのに貴方は 売るなんて
孤独っていう 夢なのね


Dreams/『Everybody Else Is Doing It, So Why Can't We? 』(邦題:『ドリームス』)(1993)-Cranberries

ああ、私 毎日変わり 続けてる
いろいろ出来る 道があるから
ああ、だから 私の夢は はっきりと
完全にはよく 見えてこないの


Dreaming/『Eat to the Beat』(邦題:『恋のハートビート』)(1979)-Blondie

趣味は何?って 聞いてきた 映画?それとも 観察かい
お茶を一杯 いただくわ 貴方に夢を 話してあげる
夢を見るのは 自由だから 私は夢を 見ているの


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ちゃんと数えたわけではないけど、残り25人/50人の選者のうち、女性ボーカルの選盤が一番少ない/多い人の選盤/今回の投票に関しての選評、ランキング結果を見た感想、シーンに対する思いなど。
敬称略で。

行川和彦
(第6位:誰かが殺した日々~Never Forget Those Days/JURASIC JADE、第36位:秘密のナイフ/Phew、第47位:歌姫/中森明菜、第48位:ブーゲンビリア/Cocco、第49位:mariko/浜田真理子)
よく記事になった作品がたくさん選ばれた感じだから『ミュージック・マガジン』らしいチャートではある。けど数タイトル入っている人も多い一方で血の気が多めの作品がほとんどなく、頭脳警察でさえ86位に1作品だけの結果には考えさせられた。偏っているのではと思いつつ自分のベスト50リストはさらに偏っている。一つでも多く入ればと試みたが。これほどの惨敗とは・・・。けど逆にあらためて力が湧いてきた次第。
(第3位のわたしだけ?/灰野敬二は女性の台詞のようなタイトルだけど男性)

原田和典
(第2位:非実力派宣言森高千里、第7位:3rd-LOVEパラダイス/モーニング娘。、第8位:denim-ed soul/EAST END×YURI、第16位:勝訴ストリップ/椎名林檎、第19位:My song Your song/いきものがかり、第20位:SWEET 19 BLUES/安室奈美恵、第22位:GAME/Perfume、第23位:First Love/宇多田ヒカル、第24位:バトル アンド ロマンス/ももいろクローバーZ、第28位:ボサ・ノヴァ2001/ピチカート・ファイヴ、第29位:空色帽子の日/ZELDA、第32位:Just LOVE/西野カナ、第35位:ごはんができたよ/矢野顕子、第36位:KICK OFF/おニャン子クラブ、第40位:ひこうき雲/荒井由実、第42位:The Swinging Star/Dreams Come True、第43位:SONGS/シュガー・ベイブ、第48位:玉姫様/戸川純
日本に生まれ、日本語で仕事をしている自分にとって、「邦楽」なるものを考察することは、そのまま自分史の内省につながる。”どの国の言語だろうと不問、内容第一”と心では思っていても、足の小指をぶつけたときに出る言葉は”痛ぇ!”であって”Ouch!”ではない。そんなことを考えつつ選んだが、ここから外した(今ではあまり顧みられない)一種あだ花的な作品こそ本来のポップなのかもと思う気持ちも。
(第15位のわたしだけ?/灰野敬二は女性のような長髪だけど男性)

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僕は1966年生まれで1989年に就職して、1991年の夏まで、そのうち4ヶ月は東京だったけど、大阪と京都の間の町に住んだ。
駅前に古びたビルのデパート/スーパーマーケットがあって、大きな工場がある隣の町まで流れる川沿いに住宅や時々田んぼや畑もあった。
全館タイプの冷暖房、大きな風呂、順番待ちの洗濯機と乾燥機。食堂に大きなテレビ。公衆電話が3台。

職場には持っていかなかった、同じ年に就職した2歳年下の彼女が買ってくれた新型の小さなウォークマン。
開店したばかりのオシャレな家具の店で買ったペン皿や靴墨やシュー・キーパー。
日本語を打ち込む時にはフロッピー・ディスクを入れ替えて、また表計算の時には別のにって感じで、結局仕事では使わず、研修でタイプ・ライターのように使うだけだったノート・パソコンとすぐに駄目になるプリンター。

90年のローリング・ストーンズは東京に観に行った。91年のエルヴィス・コステロは数カ月東京にいた時。
神戸・三宮のジャズ・バーとはちょっと雰囲気が違った、職場の先輩に教えてもらった大阪・船場のジャズ・バー。

雑誌によく載っていたのは The Stone Roses とか、Metallica とか、Nirvana とか、My Bloody Valentine とか。
経済新聞のCD・レコード評に Mano Negra が取り上げられたり。

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そんな感じだったので、日本のロックは聴いていないんだけど、でも聴こえてきたのをこれまでも結構リクエストしたり、ロックバーで聴いたりしたかな。
男性ヴォーカルばっかりだけど。

『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』にランキングされたのだと、

『家庭教師』(1990)/岡本靖幸(第11位)、『ヘッド博士の世界塔』(1991)/フリッパーズ・ギター(第12位)、『’77 LIVE』(1991)/裸のラリーズ(第75位)、『three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった』(1990)/フリッパーズ・ギター(第87位)。

女性ボーカルだと、第90位の『MERCY』/サンディーが1990年、第195位の『4 to 3』小川美潮が1991年かな?

僕の83枚目/96枚(126枚)は男声。1人/50人くらいしか選ばなかったと思うスピッツ。
リクエストは、前にもリクエストした、

日なたの窓に憧れて/『惑星のかけら』(1991)-スピッツ(spitz)

84枚目/96枚(126枚)は女声で、『8時だョ!全員集合』にも出てたチャクラにいた小川美潮。

窓/『4 to 3』(1991)/小川美潮

あ、MUSE/DIVAのリクエストは、女性ボーカルでよく歌われる言葉でそろえようと思って、You(貴方)と迷って Dream()にしたんだけど、1991年のリクエストの窓は偶然。
住んでた独身寮の窓は、・・・あったとは思う。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3291,3292)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3305,3306)

SOMEDAY/『SUPER FOLK SONG』(1992)

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最近のupsetのイベントと一緒で、告示があったときにぱぱっと選んで、でも期日ぎりぎりの投票
ロックバーの投票と違って、本当に胸糞悪(むなくそわる)い結果もあったけど、いい演説がたくさん聴けた。女声ボーカルの投票の後だったからってわけじゃないけど、歴代最多得票で落選した候補以外では、女性の演説、女装した経済学者の演説がよかった。
聞き惚れた。

MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』から、たったの4名/50名の女性の選者が選んだ女声のアルバム

今井智子
第2位:黒船/サディスティック・ミカ・バンド、第6位:JAPANESE GIRL/矢野顕子、第13位:MONSTERS IN TOWN/吉田美奈子、第28位:無罪モラトリアム/椎名林檎、第36位:アメトラ/UA、第39位:triology/クラムボン、第44位:初恋/宇多田ヒカル
(第40位のナンバーガール、第43位のブラッドサースティー・ブッチャーズのギタリスト、田淵ひさ子は女性だけど、女声ボーカルではないので略)

UAの『アメトラ』(1998)には男性の名前がタイトルになった曲が二曲入ってる。
笑ってよ、しゃぶってよ、なじっててよ、黙っててよっていう「悲しみジョニー」と、
太郎かな?「TARO」。

矢野顕子の『JAPANESE GIRL』(1976)には男性の名前がタイトルになった曲が二曲入ってる。
犬の名前だそうだから男性でなくて牡/雄/♂かな?「クマ」と、
息子さんの名前だから男性っていうのはちょっと違うかな?「風太」。

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岡村詩野
第3位:黒船/サディスティック・ミカ・バンド、第13位:FLAPPER/吉田美奈子、第18位:流線形’80/松任谷由実、第38位:アーント・サリー/アーント・サリー、第39位:my dear/さかな、第40位:カップルズ/ピチカート・ファイヴ、第46位:二階堂和美のアルバム/二階堂和美、第48位:み空/金延幸子
(第二位の羅針盤のドラムス、西浦真奈(チャイナ)(2005年アメリカンツアー中に交通事故死)、第17位のデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンに在籍した小田朋美は女性だけど、女声ボーカルではないので略。)

吉田美奈子の『FLAPPER』(1976)には「ケッペキにいさん (KEPPEKI NIISAN)」という曲があるけど、これはあだ名・呼び名かな?

かこいゆみこ
第6位:JAPANESE GIRL/矢野顕子、第8位:SONGS/シュガー・ベイブ、第13位:昨晩お会いしましょう/松任谷由美、第14位:KAMAKURA/サザンオールスターズ、第19位:黒船/サディスティック・ミカ・バンド、第24位:峠のわが家/矢野顕子、第25位:EXTREME BEAUTY/吉田美奈子、第26位:Cliché/大貫妙子、第28位:女性上位時代/ピチカート・ファイヴ、第39位:玉姫様/戸川純、第42位:泥棒/UA、第43位:勝訴ストリップ/椎名林檎、第44位:First Love/宇多田ヒカル

矢野顕子の『峠のわが家』(1986)に「David」っていう男性名がタイトルになった曲がある。
松任谷由実の『昨晩お会いしましょう』(1981)には、「グレイス・スリックの肖像」っていう曲があるんだけど、ジェファーソン・エアプレイン~スターシップの女性ミュージシャングレイス・スリックのボーカル曲には"Long John Silver"とか"Aerie (Gang of Eagles)"とかあるな。
吉田美奈子の『EXTREME BEAUTY』(1995)に入ってる「COCO」っていうのも男性名かな?

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廿楽玲子
第1位:First Love/宇多田ヒカル、第2位:世に万葉の花が咲くなり/サザンオールスターズ、第3位:ひこうき雲/荒井由実、第19位:Junior Sweet/CHARA、第21位:SUPER FOLK SONG/矢野顕子、第25位:無罪モラトリアム/椎名林檎、第26位:クムイウタ/Cocco、第27位:ジパング水曜日のカンパネラ、第28位:桜の木の下/aiko、第30位:ハイファイ新書/相対性理論、第34位:にじみ/二階堂和美、第35位:てん、/クラムボン、第38位:ハイヌミカゼ/元ちとせ、第39位:Miracle/MINMI、第41位:LOVERS/プリンセス・プリンセス、第42位:EXPO EXPO/m-flo、第48位:REBECCA Ⅳ~Maybe Tommorrow~/REBECCA

水曜日のカンパネラの『ジパング』(2015)には沢山男性名をタイトルにした歌が入ってる。
人ではないかな?「猪八戒(ちょはっかい)」、兄弟だと二人だからちょっと問題かな?「ライト兄弟」、フルネーム?の「西玉夫」。
あ、女性名みたいだけど、これも男性、小学校か中学校で習った「小野妹子(おののいもこ)」。
ウランちゃん」は、女性でよかったと思うけど「メデューサ」や「ツイッギー」も女性。「ラー」は太陽神だから男性かな?

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82枚目/96枚(126枚)は、カバー集。1992年。
リクエストしてない矢野顕子のこんなラインナップ。

1.SUPER FOLK SONG/ 糸井重里に提供した曲のセルフカバー
2.大寒町/あがた森魚のカバー
3.SOMEDAY/ 佐野元春のカバー

4.横顔/大貫妙子のカバー
5.夏が終る/ 小室等のカバー
6.HOW I CAN I BE SURE/ラスカルズのカバー

7.MORE AND MORE AMOR/ウェス・モンゴメリーのカバー
8.スプリンクラー/ 山下達郎のカバー
9.おおパリ/イッセー尾形の劇の幕間のための曲

10.それだけでうれしい/THE BOOMとの矢野の共同名義による曲のソロ・バージョン
11.塀の上で/ はちみつぱいのカバー
12.中央線/THE BOOMのカバー
13.PRAYER/Pat Methenyが矢野のために書き下ろした曲に矢野が歌詞をつけた/後にクラムボンがカバー
(解説はWikipediaを抜粋)

リクエストは、女言葉で、君を貴方に換えて歌ってる、

SOMEDAY/『SUPER FOLK SONG』(1992)-矢野顕子

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3290)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3304)

Sticky Music /Voce é Bossanova

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ドクター・ジョンの追悼もままならぬまま、デイヴ・バーソロミューが亡くなって、アンドレ・マトスが亡くなったと思ったら、「ボサノヴァの神」、「ボサノヴァの法王」ジョアン・ジルベルトが亡くなった。

僕は1966年生まれなんだけど、中学校の同級生のMが小学校の時に習っていたエレクトーンにはボサノヴァっていうリズム・パターンがあったと思うし(ボサノバだったかも知れないけど)、僕とMと三人でバンドごっこをやったFの家にあった、多分Fのおかんが習い始めた新しい型のエレクトーンにはボサノヴァレゲエの伴奏パターン(左手でコードを押さえるとリズムに合わせて伴奏が付く最新マシーンだった)も入っていたと思う。

ジョアン・ジルベルトとボサノヴァ、ボブ・マーリーとレゲエっていうのは同じような印象で、決定的な創始者のひとりではあると思うけど決して一人でやったわけじゃなく、世界中の数多くのミュージシャンが取り入れて発展させてジャンルを作っていったってことかな?
いずれにしても、1966年生まれの僕がロックを聴くようになったころには、少しづつ変化はして行きながらも、すでに確立したジャンルだった。

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ボサノヴァ:Bossa Novaは、 Novaはポルトガル語で「新しい」、Bossa は「隆起、こぶ」っていう意味で、Bossa Nova は「新しい傾向」「新しい感覚」っていう意味らしいから、『ニュー・ウェイブ』っていう感じかな?
レゲエと同じように古くからの民族音楽っていう印象もあったのだけど。

ジョアン・ジルベルトの元妻、アストラッド・ジルベルトが歌った大ヒットした「イパネマの娘」の印象なのか、ボサノヴァといえば女性ボーカル。
あ、男性の名前がタイトルになった女性ボーカル曲があった。
”Dinji”(邦題:ジンジ)(1965)というのは女性の名前らしいけど、女性ボーカルだと、男性の名前って感じじゃない?
日本の演歌の逆で、男性が女性のことを歌にしたのを女性が歌うっていうのがボサノヴァのスタイルかな?

有名な「イパネマの娘」だって、僕が知ったのは結構残酷な話だと思った「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」の入った村上春樹の短編集を大学生の時に読んで、その中にあった「1963/1982年のイパネマ娘」でなんだけど。

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時々、地下鉄の車両の中で彼女に出会うことがある。そのたびに彼女は<あの時はビールをどうもありがとう>式の微笑を僕に送ってくれる。
あれ以来我々はもうことばは交わさないけれど、それでも心はどこかでつながっているんだという気はする。
どこでつながっているのかは僕にはわからない。
きっとどこか遠い世界にある奇妙な場所にその結びめはあるのだろう。
そしてその結びめはまた別のどこかで高校の廊下やコンビネーション・サラダに、あるいは菜食主義者の「いちご白書」的女の子につながっているのだ。
そんな風に考えると、いろんなことが、いろんなものが少しずつ懐かしく思えてくる。
どこかにきっと僕と僕自身をつなぐ結びめだってあるはずなのだ。
きっといつか、僕は遠い世界にある奇妙な場所で僕自身に出会うだろう、という気がする。
そしてそれはできることなら暖かい場所であってほしいと思う。
もしそこに冷えたビールが何本かあるなら、もう言うことはない。
そこでは僕は僕自身であり、僕自身は僕である。
そのふたつのあいだにはどのような種類のすきまもない。
そういう奇妙な場所がきっとどこかにあるはずなのだ。

1963/1982年のイパネマ娘は今も熱い砂浜を歩きつづける。
レコードの最後の一枚が擦(す)り切れるまで、彼女は休むことなく歩きつづける。

(村上春樹「1963/1982年のイパネマ娘」。『カンガルー日和(びより)』文庫本:1986年初版より抜粋)

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定説では、ブラジルでのヒットのきっかけは1958年にアントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、ジョアン・ジルベルト歌・ギターによる“Chega de Saudade”(シェーガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)のシングルレコードによって(Wikipedia)。

僕はサウダージ(ポルトガル語で郷愁、憧憬、思慕、切なさ)という言葉の意味もよく知らなかったのだけど、知ったのは高橋健太郎さんの「アレサ・フランクリンのサウダージ」~”クイーン・オブ・ソウル”(『MUSIC MAGAZINE』2018年10月号)で。

MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』の「今回の投票に際しての選評、ランキング結果を見た感想、シーンに対する思いなど」を転載。
敬称略で。
選んだアルバムも女性ボーカルのアルバム中心に。

高橋健太郎】(第6位:熱い胸さわぎ/サザンオールスターズ、第8位:それから/JAGATARA、第9位:月面軟着陸/ピチカート・ファイヴ、第11位:B-2 UNIT/坂本龍一、第12位:ひこうき雲/荒井由実、第13位:4 to 3/小川美潮、第14位:BELLS/吉田美奈子、第25位:ホームシック/ECD、第26位:Seven & Bi-Decade/吾妻光良&スウィンギン・パッパーズ、第28位:祝再生(VIVA LAVA LIVA)/サンディー&サンセッツ、第30位:つぎねぶ/ASA-CHANG&巡礼、第29位:たまご/くじら、第32位:UTAU/大貫妙子坂本龍一、第33位:Essencia/小野リサ、第34位:Thrill March/朝日美穂、第35位:Blind Botanical/さかな、第40位:Viva! La Woman/チボ・マット 、第41位:Sun and Rain/YOSSY LITTLE NOISE WEAVER、第43位:Dream My Bones/石橋英子、第45位:Junior Sweet/CHARA
初めて買った日本のレコードだった『風街ろまん』が集計で1位というのには目眩が。僕は日本の音楽のごく一部しか聴いていない自覚があるのだが、100位までに知らないアルバムはなかった。本誌の傾向がくっきりした結果だと思う。日本の音楽家は面識ある人達が多いので、個人の選盤はそこは気にせず。日本語の音楽を聴きたいが、聴ける「うた」は少ないというジレンマが見てとれるように思う。

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81枚目/96枚(126枚)は一度見送ったサンディー(&サンセッツ)。(全体では第90位に『MERCY』/Sandiiがランキングしてる)
ちょっといつの発売か分からない、ベストアルバム。
の、再発盤(?)を。

リクエストは、オーストラリアでヒットしたっていう、

STICKY MUSIC/『 Viva Lava Liva: 1980–1983』- Sandii& the Sunsetz

80年代に戻っちゃう感じだけど、もう1曲。

沢山の人がランキングして、全体では『SONGS』/シュガー・ベイブが第2位、第56位に『SUNSHOWER』、第179位に『Cliché』がランクインした大貫妙子の、小野リサが参加したアルバムから。

Voce é Bossanova/『PURISSIMA〔プリッシマ〕』(1988)-大貫妙子

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70年代に戻っちゃう感じだけど、もう1曲。

Day Dreaming/『Young, Gifted and Black』(1972)-Aretha Franklin

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3287,3288,3289)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3301,3302,3303)

たま/JITTERIN’ JINN(1990)(1991)(1999)

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知らない曲もたくさんかかって、最後の方で「男性名がタイトルになった女性シンガーが歌う曲はない」っていう話になった。

いつものようにリクエスト曲を取り上げて日記を書いていきたいのだけど、ちょうどブログの様式が変わって不具合の調製中のようでうまく使えないので、twitterでやってた自分の昔の日記を引っ張り出しての実況を転載。

帰り道の電車の中のも。

家に着いてからのも。

ちょっと誤字脱字、変な日本語は訂正。


****


Janis Joplin と Blondie が少しかぶったけど、曲は全部バラバラの60数曲。

長い順にかかってるのかな?

今、"Rise Of The Tyrant" なんで僕の曲はまだかな?

"Nemesis"は候補だった。


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この中でリクエストが入ったのが、ベリンダ・カーライルとスージー・クアトロっていうのは・・・

"Heaven Is A Place On Earth"は、聴きたいが、長い順?

まだかな?

あ、僕のリクエストが続いた。



あ、パティ・スミスのGloriaは二人いた。

ルネッサンスとヴェルベットと三曲の人、XXとHoleと三曲の人。

ハルカトミユキ、おおたか静流、Zard・・・いい曲だなあ



あ、半音上がった♩


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あ、速さが変わった。

エリが来る。



ビョークも二人からのリクエスト。

マスターのリクエストは僕が小学生から中学生の頃は全くテレビに出なかった美空ひばり。

ブロンディの4番目に好きなアトミック。

あ、マイブラも^_^



Blondie

My Bloody Valentine

Everything But The Girl


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Move OverはGamiさんじゃなくて、・・・あ、Gamiさんいないな



ゲルニカの後にユーリズミックスの甘い夢。

レベッカのラズベリーの夢と共に候補だった。



ミニー・リパートンのラヴィン・ユーがかかると、いっこ上と同級生が絶唱。

マレーネ・ディートリヒは男声みたいだ。



スージー・アンド・バンシーズ。

スージー・クアトロもそろそろ。

ボブ・ディラン一曲も知らない若い男と「風に吹かれて」だけは知ってる若い男二人。

おい、エラ・フィッツジェラルドは聴きな^_^


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スージー・クアトロのベースは重そう。

メタルの重いベースではなく、



”Tear Me Apart”の邦題は知らんないんだ。



”Femme Fatale”は邦題も、英語のタイトルも知らなかった「あの曲」。



チェリーボーム!!



ベンツが欲しい。

ちょっとロッド・スチュワートみたいな。

トリじゃなくて、Yuk Fooってのが、・・・読めんけど

She & Him

帰ってきたロクスケ


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LollipopのChordettesじゃなくて、Chordettesのロリポップだと思う。



やっぱり、「彼」というのは特定の一人の男性の呼び名なんだな。



男性歌手にはたくさん女性の名前の曲があるけど、女性歌手に男性の名前の曲ないねって、本当に。

彼、貴方、それが名前なのかもね、ねえ、貴方?

おまけでアリソン、アリソン、この世界



「わたしは、そうやって生きてきたし、これからもきっとそうなの。人傷つけてまでと思わない。」


「練(れん)が傷つくよ?」

「彼(かれ)はいい。」


「なんで?」

「分かってくれる。」


なんで女性歌手は男性の名前の曲を歌わないのか?で盛り上がり、マイ・シャローナ


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IVA/Muse大会のライブレポートで7月中ずっと日記を書いてそうだ。

ボーナスとか選挙とか災害とか夏休み入りとか、その間に色々あるんだろうけど。


ネメシス(Nemesis)は、ギリシア神話に登場する女神である。

人間が神に働く無礼(ヒュブリス)に対する、神の憤りと罰の擬人化。



男性の名前がタイトルになった女性シンガーが歌う曲を探してるんだけど、本当にない。

山口さんちのツトムくん

ジョニーへの伝言


一番好きな、何度かロックバーでリクエストした”Luka”。



「今の人」とか「彼」とか「卒業写真のあの人」とか「あの子の命はひこうき雲」とか、ユーミンにも男性の名前が出てこないな。



「あの娘」とか女性の名前はたくさん出てくるけど、中島みゆきにもないな、男性の名前の曲。

万葉集とか探してもきっとないんだろう。

◯◯の女とか、詠む方が匿名ならあるかな?


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一度も下の名前で呼ばないっていうのは、またちょっと違うんだろうけど。

女声の歌に男性の名前が出てこないのと全く無関係ではないんだろうな。



蓮くんも一度も音ちゃんって下の名前で呼ばないから、上の名前(姓)と下の名前(名、ファースト・ネーム)というのは、女声の歌に男性名が出てこないっていうのとは、また違うかな?



なんで男性の名前がタイトルの女声の歌がないのかと考えながらCD棚を。

我らがSUNDAYSに「宮田誠のバラード」というのがあって冬実ちゃんが歌っとるが、これはちとちゃうかな?



なんで男性の名前がタイトルの女声の歌がないのかと考えながらそもそも女声が少ないCD棚を。

Yeah Year Yearsに"Dudley" いう歌があるのだけど、歌詞には名前は出てこない。

ちと怖い歌詞。



なんで男性の名前がタイトルの女声の歌がないのかと考えながらCD棚を。

DIVA/Museではなぜかリクエストがなかったアレサ・フランクリンに"Dr.Feelgood"というのがあるけどこれは名前ちゃうな。



なんで男性の名前がタイトルの女声の歌がないのかと考えながらレコード棚も。


”Help!”や”Baby,It's You”が入った、友達が買ったカーペンターズのアルバムに "Mr.Guder" というのがあるけど、これも違うか。


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英語習い始めの中一で聴いた時には女の人の名前だと思ったエルトン・ジョンの名曲"Daniel"(1972)を2018年にサム・スミスがカバー。

”Daniel,my brother~”が聞き取れず ”Daniel,my lover~” と聞こえた。



"Daniel"はウィルソン・フィリップスがカバー。

「詞が素晴らしいだけでなく、ヴォーカルを生かせる曲でしょ。過去に書かれた曲の中でも、最高にスィートなメロディだわ」


これはベトナム戦争から帰還して故郷テキサスの小さな町に戻ってきた男の話。

町の人々は彼が帰って来ると歓声を上げて迎えあたかもヒーローの様に扱った。

彼はただ単純に家に帰り元の農場で働きたかっただけ。

僕は戦争から帰還した人達を思いやる何かを書きたかった。

(バーニー・トウピン)



なんで男性の名前がタイトルの女声の歌がないのか?

バーニーが詞を書く→エルトンが曲をつける→レコードにして売り出す→ヒットする→女声がカバー

ならありそう。

ラブソングではないが。



あの時思いました

この人がどうか幸せでありますように

あなたはいつも今日を必死に生きてて明日を信じてる

世の中に希望がないからって一人ひとりに希望がないわけじゃない

あなたを見てるとそう思います

(いつ恋)


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MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』の続きは女性ボーカルをたくさん選んだ人。

全体ランキングで第2位の『SONGS』/シュガー・ベイブ、第10位の『黒船』/サディスティック・ミカ・バンドも女声なんだけど、女声メインという感じではないので、ちょっと割愛。

ピチカート・ファイヴもアルバムの印象で女声メインとしたりしなかったり。

敬称略で。


【池上尚志】(第5位:LOVE GOSE ON.../DREAMS COME TRUE、第9位:ひこうき雲/荒井由実、第11位:GAME/Perfume、第20位:THE GREATEST HITS/LOVE PSYCHEDELICO、第21位:DEEP RIVER/宇多田ヒカル、第24位:SUNSHOWER/大貫妙子、第27位:PLAY/安室奈美恵、第28位:非実力派宣言/森高千里、第30位:無罪モラトリアム/椎名林檎、第31位:ユートピア/松田聖子、第36位:THE POWER SOURCE/JUDY AND MARY、第40位:Duty/浜崎あゆみ、第42位:SWEET SERENITY/鈴木祥子、第44位:CITY DIVE/一十三十一(ひとみとい)、第45位:Funny Walkin'/佐藤菜々子、第47位:ハイファイ新書/相対性理論、第48位:あまぐも/ちあきなおみ、第49位:ジパング/水曜日のカンパネラ

作品の評価というものは時代によって変わっていくものだから、過去の名盤であってもいつまでも高く評価されるとは限らないと思っている。そういう意味で、今の時代感をランキングにしたつもり。基準は既にはっぴいえんどではなく、シュガー・ベイブに変わったと思う。ドリカムは90年代以降の歌詞表現に巨大な影響を与えた点から上位にしたが、ランク外だったのは意外。下位は自分の好みを強めに出しています。


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僕は1989年に大学を卒業して就職してテレビのない独身寮に住んだので、実は『イカ天』はリバイバルの総集編みたいなのを除くと、一度も見たことがない。

イカ天の乗ったうどんは好きでよく食べるんだけど。

あ、正式名称は『三宅裕司のいかすバンド天国 』だから『いか天』かな?

イカの天ぷらも「いか天」かな?

エビの天ぷらは海老天って漢字の方が高そうだな。

えび天とエビ天だとどちらが良く使うかな?

烏賊天というのはうどん屋さんで見たことないよな。


・・・ロックのリクエストだ。


79枚目、80枚目/96枚(126枚)は、テレビで見たわけじゃないんだけど、CDを買ったやつ。

ジッタリン・ジンはベスト盤だけど。


リクエストは、


さよなら人類/『さんだる』(1990)たま


♩てんてんてんてんてんてんてんてんて〜〜ん!僕らは点になる〜〜!!


あ、これは「オゾンのダンス」だ。


夏祭り/『ハッピーカムカム』(1992)ーJITTERIN'JINN


♩イェ!イェーーー!!!ドンチュ・ラヴミー・イェーー!!


あ、これは「やけっぱちのドンチャラミー」だ。

『TENTASTIC!』(1999)(デビュー10周年記念アルバム)に入ってるやつ。

僕は1989年に就職して1999年は10年だから、これもリクエスト。


やけっぱちのドンチャラミー/『TENTASTIC!』(1999)ーJITTERIN'JINN


80枚目/96枚(126枚)は、『8-9-10! Jitterin'Jinn Best』(1999)(10周年記念ベスト)に変更ってことで。


♩イェ!イェーーー!!!ドンチュ・キスミー・イェーー!!


3曲リクエスト。


コモンストックへの3300曲目のリクエストは、携帯電話での電子メールが常識になった1999年

やけっぱちのメール、やけっぱちの変換、やけっぱちで送った、やけっぱちのドンチャラミー。


upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3284,3285,3286)

コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3298,3299,3300)

BO GUMBOS/ANGRA/WARABE('80)

画像1週間に1回じゃあ日記(にっき)じゃなくて週報(しゅうほう)だなって思うけど、先週の続きで、MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』で、票を集めた『RHAPSODY』(1980)(第21位)、『シングル・マン』(1976)(第66位)以外のRCサクセションを選んだ人の選評・感想を敬称略で無断転載。

第25位にライブ盤の『the TEARS of a CROWN』(1986)を選んだ石田昌隆さん、第23位にベスト盤の『EPLP』(1981)を選んだ小倉エージさん、第4位に『楽しい夕に』(1972)を選んだ金子厚武さんに続いて、あ、第26位に『PLEASE』(1980)を選んだ近藤康太郎さんは前に写したので「今回の投票に対しての選評、ランキング結果を観た感想、シーンに対する思い」は割愛。

【近藤康太朗】(第1位:『Tokyo Flashback』/v.a.、第10位:『上田知華+KARYOBIN[4]』/上田知華+KARYOBIN、第14位:『Phew』/Phew、第18位:『浅川マキの世界』/浅川マキ、第26位:『PLEASE』/RCサクセション、第34位:『古今東西』/森高千里、第35位:『ひこうき雲』/荒井由実、『4 to 3』/小川美潮)
(略)

画像【志田歩】(第1位:『マラッカ』/PANTA & HAL、第3位:『カルメン・マキ&OZ』/カルメン・マキ&OZ、第7位:『Tokyo Flashback』/v.a.、第10位:『無限の大宇宙』/ヨーコ・オノ、第24位:『FEEL SO BAD』/RCサクセション、第47位:『玉姫様』/戸川純
セレクトにはおそろしく時間を費やした後、あらかじめ自分以外の選者からあげられると予想がつくものは、かなりの程度任せてしまおうと開き直ってみたものの、いざリストを提出する際は、気合を要した。星野裕矢などはぼくしかあげないだろうと腹を括っていた。とはいえ浅川マキオノ・ヨーコカルメン・マキ&OZが、ベスト100の集計にすら入ってこないというのは、意外というよりもびっくりしました。

あ、『COVERS』(1988)を選んだ方は1人もいなかったって言ったけど(書いたけど)、ひとりいた。

また嘘をついた。
ご容赦。

画像【柴邦典】(第1位:『First Love』/宇多田ヒカル、第2位:『ひこうき雲』/荒井由実、第12位:『カバーズ』/RCサクセション、第16位:『EZ DO DANCE』/TRF、第18位:『5TH DIMENSION』/ももいろクローバーZ、第21位:『無罪モラトリアム』/椎名林檎、第40位:『非実力派宣言』/森高千里、第49位:『Message』/MONGOL800
自分としては時代のターニング・ポイントになった作品をできる限り誠実に選んだつもりだし他の選者の方々もそうだと思うのだが、結果を見ると「はっぴいえんど史観」と「アンダーグラウンド・パンク史観」が色濃く反映されたリストになった印象。ジャンルではなく「系」でカテゴライズされるのが日本の音楽消費の文化的特徴で、この100枚が示す「系」と、そこから漏れた「系」の在り処を探るのが興味深い。

僕が選ぶ日本のロック77枚目/96枚(126枚)は、もう少し中学校・高校・大学の学生時代まるまるの80年代を選びたいなっていう気持ちはあるのだけど、1989年のボ・ガンボスのデビュー・アルバム

画像僕はデビュー・ビデオの方が先だったので、ボ・ディドリーの歌やギターは一生懸命聴いたけど、ちょっとライブの方がいいなって思った。
ローザ・ルクセンブルグも魅力を上手くスタジオ録音できなかった印象で、1枚と言われると『Live August』(1987)なんで、嗜好の問題かな?

3枚目のスタジオ録音アルバム(何曲かはライブ)のメンバーが書いたバイオグラフィーを転載。

(略)
'81 京都に行く。Kyonと会う。DOCTORを見る。
初のバンド”NANA”を結成。(ピストルズストーンズのコピーバンド)

'82 ライブハウス拾得に行き玉城ひろしと会う。
ブレイクダウンを見る。

'83 永井利光と出会う。ジョン・ライドンにおんぶした。
DISCO”Caravan Night”でローザルクセンブルグ結成。その後、三原重夫を迎える。
”おでん”結成。(お笑いバンド)・ギタリストをやる。


画像'84 ローザ・ルクセンブルグ 京都で人気者になる。

'85 ヨーロッパツアーをする。初めてアムステルダムに行き、どんと と 永井の のり が変わる。
東京方面にローザ全員移住。どんとは埼玉に住む。

'86 アルバムを2枚発表するが売れない。
東京に引っ越し、(世田谷)山口冨士夫と出会う。
女性に不自由し六本木に繰り出す。(with 永井)

'87 究極のバンドを作るため、どんとと永井が脱退。
”フラワーズ”Kyonをセッションに迎え、大変に盛り上がり、ついにBO GUMBOS誕生。
沖縄に行き喜納昌吉を見る。
大みそかの西部講堂のライブで、いけると思った。
吾妻光良の結婚パーティーに出席。

'88  ボ・ガンボス東京で人気が出る。
山口冨士夫をゲストに迎え最高のライブをする。
(芝浦インクスティック)
ボ・ディドリーが、初来日(with ロン・ウッド)し、ホテルに会いに行く。
ティアドロップスとジョイントコンサート。(西部講堂
石川二三夫と出会う。


画像'89 ”宇宙サウンド”でビデオによるデビュー!!
ニューオリンズでネビルブラザーズやボ・ディドリー達と大セッションを行ない、初のアルバム”BO & GUMBO”発表。
ボ・ディドリーとボ・ガンボスのジョイントツアーをする。
中野サンプラザ 毎月ライブを行なう。
(略)
-どんと


よく「泥んこ道を二人」なんかで使ってるギブソンの225モデル。実は3年前ニューオリンズで買ったもんで、オオッと気に入って買う決め手となったのはこのギターの製造年が1957年やったこと。つまり私が熊本県にて12月23日、肥後もっこすとして生まれた年なわけやね。あ~同じ年のギターかと、他人ではない気持ちがして、出会いですな。
このギターの歴史はわかりまへんが、私の方はといえば、1960年に大阪へ。天王寺界隈にてたっぷり育ったもんで、言葉はもちろん精神面でもすっかり大阪人。しかもディープサウス型であります。
この時ピアノを始めまして、いわゆる来阪クラシックアーティストちゅう奴はほとんどこの目で観てま。あとGSがえらい流行っとったもんで、将来はグループ(バンドではない)結成したい願望が生まれたんもこのころ。
でもって高校の学祭でのコピーバンドを少し経まして、1977年京都へ。
学費が安かったこととは何の関係もなく、8年間大学へ熱心に通いつつ、音楽活動の毎日。(略)ほんでもって卒業後1986年東京へ。
テレビ番組の制作を少しやってボ・ガンボスへ。その後は御存知の通りであります。
(略)
-川乃家恭助 1991年12月25日


画像金曜日のロックバーで久しぶりにロクスケくんと遭って
7月5日、Odde To Muse=Diva Festival
の候補/落とした曲のリクエスト。

ボブ・ディランを歌った、
Make You Feel My Love/Adel

エルトン・ジョンのカバーの、
The Bitch Is Back/Tina Turner
Sacrifice/Sinead O'Connor


1曲だけリストアップされていた、
夏祭りJITTARIN’JINN

大瀧詠一の方はリストにない、
さらばシベリア鉄道太田裕美

気分次第だけど『玉姫様』に入ってる方がすきかな?と思う、
パンク蛹化の女/戸川純&YAPOOS

日記は削除されちゃった、
ぼくたちの失敗/森田童子
画像DIVAって歌姫で、MUSEって女神って印象なんで、どっちで行こうか、まだ迷ってる。

無神論者でも一神教を崇めているわけでもないけど、ジョン・レノン”God Is A Concept By Which We Measure Our Pain"と歌った”God”の女性が女神だと考えると、アレサ・フランクリンでもちょっと投票に躊躇する。

レコードは『アメリカン・グラフィティ』に入ってる”"Ain't That a Shame" /Fats Domino しか持ってないけど、ファッツ・ドミノのベスト盤CDで編曲した曲は沢山聴いた、デイヴ・バーソロミューが100歳で亡くなったとか。

ドクター・ジョンの追悼も兼ねて、ちょっとセカンドラインっぽくはない曲だけど、77枚目/96枚(126枚)からのリクエストは、

魚ごっこ/『BO & Gumbo』(1989)-BO GUMBOS(ボ・ガンボス)

リストになかったので、7月5日、Odde To Muse=Diva Festivalでは投票できないけど、筋肉少女帯もパクった、のぞみ・かなえ・たまえの、

めだかの兄妹(1982)/わらべ 編曲:坂本龍一

画像大学の1回生の時には、高校までやっていた英語の授業があった。
単位が必修だったと思うけど、映画の話で授業が面白いっていう評判だった、教授とか助教授とかではない若い講師が受け持った『英語』は、英語のペイパー・バックが教材だった。

ジャン=ジャック・ベネックス監督の1981年のフランス映画、『DIVA』の脚本?を英語の小説にしたやつ。
しばらくして誰かが日本語のも見つけてきて、試験前にみんなで回し読みしたけど、僕は当時はまだ1回借りると800円くらいした、字幕の映画もレンタルで借りて観た。
さえない成績だった試験が終わった後だけど。

郵便配達員が、アルバム録音を出さないことで知られるアメリカのソプラノ歌手の大ファンで、パリ公演にやってきた彼女の特別オペラ・アリア・コンサートを音声を隠し録する・・・と説明しかけたら、観てみるんでネタバレなしで!とロクスケくん。

バーソロミューっていう名前は、高校生の時は、喜望峰(アフリカーンス語: Kaap die Goeie Hoop、英語: Cape of Good Hope、ポルトガル語: Cabo da Boa Esperança、オランダ語: Kaap de Goede Hoop)を発見したバーソロミュー・ディアスしか知らなかったのだけど、デイヴ・バーソロミューが100歳でなくったことより、47歳で亡くなったアンドレ・マトスの方を追悼(tribute)したい気持ちが強いな。

リクエストは、バンド名は火の女神って意味かな?

Carry On/『Angels Cry』(1993)-ANGRA

画像ボ・ガンボスは1枚だけっていうわけに行かないので、78枚目/96枚(126枚)、3枚目のライブ録音も何曲か入ったスタジオ盤から、デビュー・ビデオに入っていた、

ポケットの中/『ULTRAVELIN' ELEPHANT GUMBO』(1992)-BO GUMBOS(ボ・ガンボス)

もう1曲、希望(のぞみ)・叶え(かなえ)・給え(たまえ)の、

もしも明日が・・・。(1983)/わらべ 編曲:佐藤準

希望叶え給えって、聖書とか仏典とかにそんなこと書いてるのかな?

書いてなさそうだけどな。

でも、童(わらべ)の希望(のぞみ)はどうか叶うように・・・。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3279,3280,3281,3282,3283)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3293,3294,3295,3296,3297)

RCサクセション(1988)/ザ・タイマーズ(1989)

画像「(略)僕はいわゆる自然主義的な小説、あるいは私小説はほぼ駄目でした。太宰治も駄目、三島由紀夫も駄目でした。そういう小説には、どうしても身体がうまく入っていかないのです。サイズの合わない靴に足を突っ込んでいるような気持ちになってしまうのです。言うまでもないことですが、それは僕の個人的な嗜好の問題であって、それが作品の客観的評価につながるわけではまったくありません。人間と人間のつきあいと同じことですね。僕らはどれだけ心を開いても、そのへんの誰とでも簡単に友達になれるわけではないし、小説に関してもそれは同じことです。相性というものがあるし、また馴染むまでに時間がかかるものもあります。だから、ひょっとしたら十五年後には、僕は私小説にどっぷりと首までつかりきっているかもしれません。それはまあ誰にも予測がつないことですけれど。(略)」
村上春樹。『若い読者のための短編小説案内』。初出:1996年『本の話』、単行本:1997年文庫本2004年
というのは、僕はその他のものと同じように文庫本になってから読んだのだけど、高校生になってすぐFに借りて『風の歌を聴け』を読んで、返す時に文庫本も出ていた次の『1973年のピンボール』も買って、「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」が入った短編集も買ったり、『IN ☆ POCKET』っていう100円の冊子って感じの雑誌を買ったりっていうのは、嗜好が合ったからかな?
流行ってたってだけかな?

画像ドクター・ジョンの追悼も兼ねてボ・ガンボスの『BO & GUMBO』(1989)は96枚(126枚)に選ぶつもりでいるんだけど、もう少し80年代。

あ、そういえば、90年代まるまるって感じの西新宿のロックバー、コモン・ストック(1991-1999)で最後にリクエストした曲は、ドクター・ジョンが参加してるな。

コモン・ストック(1991-1999)の閉店間近日記でリクエストしたのにリンクを貼っていた元の日記は削除されちゃったので、ちょっと再掲。

今のupset the apple-cartの(終了した)ホームページフェイスブックに掲載されるリクエスト・カード(リクエストを書いたちぎった紙)をB4(まだA4やA3よりもB4が多かったかな?)に並べてポスターにしたのが配られた。

ポスターをもらった日も行って何かリクエストしているので、本当は最後のリクエストではないんだけど、ポスターになって、ちゃんと覚えているのは2曲。

I'll Sleep When I Die/Warren Zevon と Let It Loose/The Rolling Stones

僕が持ってるアルバムの内ジャケットにも、”Let It Loose”に Mac Rebennack backing v.ってちゃんとクレジットされてる。
聴いてもよく分からないし、読みにくい手書きだけど。

画像テレビで沖縄の小学校6年生の女の子が詩の朗読をしていた。
こんなの。無断転載。改行はちょっと違うかもしれないけど、ご容赦。

青くきれいな海
この海は どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ちこまれ 
炎で包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか

緑あふれる大地 
この大地はどんな声を聞いたのだろうか

けたたましい爆音 
泣き叫ぶ幼子 
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか

画像青く澄み渡る空
この空は 
どんなことを思ったのだろうか

緑が消え 
町が消え 
希望の光を失った島
体が震え 
心も震えた

いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか

平成時代 
私はこの世に生まれた

青くきれいな海 
緑あふれる大地 

青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が74年前 

画像何を見て 
何を聞き 
何を思ったのか
知らない世代が増えている

体験したことはなくとも
戦争の悲惨さを 
決して繰り返してはいけないことを 
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために

この島が 
この国が 
この世界が幸せであるように

お金持ちになることや 有名になることが幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが 本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが 最高の幸せだ

「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある

令和時代 
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも

(山内 玲奈)

画像日本のロック75枚目/96枚(126枚)は、RCサクセション

発売禁止が話題になったからだと思うけど、アルバムチャートで1位になった『COVERS』(1988)

こんな人たちが、参加してる。

明日なき世界 (Eve Of Destruction)/金子マリ、ジョニー・サンダース

風に吹かれて (Blowin' In The Wind)山口冨士夫高井麻巳子

バラバラ (Balla Balla)/山口冨士夫三浦友和、Isuke Kuwatake

シークレット・エージェント・マン (Secret Agent Man)/坂本冬美、ジョニー・サンダース

画像黒くぬれ! (Paint It Black)山口冨士夫ちわきまゆみ三浦友和

サマータイム・ブルース (Summertime Blues)高井麻巳子三浦友和泉谷しげる

マネー (Money)/山口冨士夫、三浦友和

サン・トワ・マミー (Sans Toi M'amie)/山下洋輔、Isuke Kuwatake

悪い星の下に (Born Under A Bad Sign)/山口冨士夫

イマジン (Imagine)ちわきまゆみ、三浦友和

<参加できなかったミュージシャン>(Wikipediaより)
坂本龍一 - 忌野から参加を打診されたが都合により辞退
田原俊彦 - 参加予定も日程が折り合わず涙を呑む
渡辺美里 - 参加予定も録音当日にドタキャン

<別名で参加したミュージシャン>(Wikipediaより)
桑田佳祐 - レコード会社の問題によりIsuke Kuwatake名義にて参加。

画像MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』ではRCサクセションは、第21位に『RHAPSODY』(1980)、第66位に『シングル・マン』(1976)、それから、第78位に『THE TIMERS』(1989)ザ・タイマーズ

ヒットチャートで第1位になった『COVERS』(1988)を選んだ方は1人もいなかったのだけど、票を集めた200位以内の『RHAPSODY』(1980)、『シングル・マン』(1976)以外のRCサクセションを選んだ人の選評・感想を敬称略で無断転載。
ちょっと数が多いのでその半分くらい。

【石田昌隆】(第1位:嘉手苅林昌特集/嘉手苅林昌、第25位:『the TEARS of a CROWN』/RCサクセション、第26位:『BO & GUMBO』/ボ・ガンボス、第43位:『コンポステラ』/篠田昌已、第48位:『No Damage』/佐野元春
嘉手苅林昌やMute Beatは選盤が割れてベスト100圏外になったのなら残念。70年代の歌謡曲とフォーク/ニュー・ミュージックは、シングル盤で思い入れのある曲はあるけどアルバムでは選べないという人が何人かいた。異文化圏と関わりを持ち、そのマージナルな境界を行き来しながら独自の音楽表現を獲得している人に惹かれることが多い。個人のベスト50のリスト、名作揃っているのでぜひチェックを。

画像小倉エージ】(第1位:『はっぴいえんど』/はっぴいえんど、第2位:『私を断罪せよ』/岡林信康、第23位:『EPLP』/RCサクセション、第27位:『THE BLUE HEARTS』/ザ・ブルー・ハーツ、第36位:『み空』/金延幸子、第47位:『SOMEDAY』/佐野元春、第49位:『17歳の地図』/尾崎豊
50年、時代の変遷とともに聴いてきたものから、確認のために湯浅学編の『アルバム名盤』などを拠りどころに選出。かつての日本のポップスのオルタナ系が、昨今のJ-POPの源流となり、メジャー系になったものも。その後の新たなオルタナ系への関心も抱きながら、本誌では取り上げられにくいメジャー系の”歌もの”にも目配りし、私的な嗜好よりも日本のポップス/ロック史の足跡を俯瞰しての結果となった。

【金子厚武】(第1位:『泰安洋行』/細野晴臣、第2位:『YELLOW DANCE』/星野源、第4位:『楽しい夕に』/RCサクセション
ランキングは総じて納得しつつ、00年代以降の重要なロック・バンドがごっそり抜け落ちているのは少し寂しい気が。個人のランキングに関しては、2019年における「細野晴臣から星野源へ」という系譜を軸に、「多様な価値観が混ざり合った上で、そこから立ち現れる日本らしきもの」という観点から、くるりザ・ブーム、ウリチパン郡といった、想い入れの強い音楽家たちの名前が改めて浮かび上がりました。

画像リクエストは、75枚目、76枚目/96枚(126枚)から、

イマジン(Imagine)/『COVERS』(1988)RCサクセション

デイ・ドリーム・ビリーバー 〜DAY DREAM BELIEVER『THE TIMERS』(1989)-ザ・タイマーズ

7月5日に12周年 Odde To Muse=Diva Festival 女性ボーカル1人三曲っていうのがあるそうなので、女性ボーカルを。

くたばっちまえ♪アーメン♪っていうのが教会の多い神戸では問題になったとかいう、

ウェディング・ベル(1981)/Sugar(シュガー)

ちょっとDIVAって感じじゃないけど、80年代のちょっと影があってポップな好きな歌。

時をかける少女(1983)/原田知世
もう遭えない逢えないかもしれない(1986)/菊池桃子
木枯らしに抱かれて(1986)/小泉今日子

ドクター・ジョン以外は女性コーラスなんで、

Let It Loose/『Exile on Main St.』(1972)-The Rolling Stones

女性の元気のいい曲も、

マイ・レヴォリューション/渡辺美里

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(32713272,3273,3274,3275,3276,3277.3278)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3285,3286,3287,3288,3289,3290,3291,3292)

I Don't Play/皆笑った/おどるポンポコリン'80s

画像ローリング・ストーン誌のレビューとかでは目にしたことがないのでリアルタイム(real time)っていうのが和製英語なのか、一般的にも使うのかよくわからないけど、

To attain interpolation processing in a real time.
(即時での補間処理を可能にする)


っていうような使い方をするので、間違った英語ではないと思う。

でも、

オジー・オズボーンがリアルタイムで聴いたザ・ビートルズ(ローリング・ストーン:日本版)
の原文は、
Playlist - Ozzy Osbourne talks about The Beatles
だから、やっぱり和製英語かな?

僕の日本のロック96枚(126枚)は、Dr.Johnの追悼も兼ねて『BO & GUMBO』(1989)/ボ・ガンボスは選ぶと思うんだけど、もうしばらく1988年までの。
全体ランキングで第60位に入っていてちょっとびっくりしたピチカート・ファイヴの『カップルズ』(1987)。

画像ピチカート・ファイヴは、第150位に『さ・え・ら ジャポン』(2001)、第151位に『月面軟着陸』(1990)、第188位に『女性上位時代』(1991)、第200位に『わたくしの二十世紀』(2015)(小西康陽のピチカート・ワン)が入っていて、僕はいわゆるロックの「聞き手」であったことは一度もないと思っているし(なんであの人たちはいともたやすく僕らを、、、)、「リスナー」ならともかく「聞き手」っていうのは変な表現(もっとはっきり馬鹿と言えばいいのかな?関東風に言えば阿呆かな?)だなって思っているんで(インタビューの「聞き手」っていうのはよく分かるんだけど、音楽の「聞き手」っていうのはよく分からない。ロックってミュージシャンと聴いてる人たちを分断しないもんじゃない?とも思ってる)自分では使わないんだけど、ピチカート・ファイヴは、なんていうか、・・・「聴こえてきた音楽」かな?

リクエストは、ラグビー部の連中の下宿も歯ブラシだけはこんな風だったかな?
いや、この日当たりはないかな?
ピントをずらせば、・・・いや、ないか。

皆笑った they all laughed /『couples(カップルズ)』(1987)-PIZZICATO V/PIZZICATO FIVE(ピチカート・ファイヴ)

リアルタイムで体感した90年代」と廿楽(つづら)玲子さんが書いたように、リアルタイムという言葉が出て来るMUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』の選評・感想を敬称略で無断転載。

画像【油納将志】(第1位~第3位がフリッパーズ・ギター、第14位が『BGM』/YMO、第28位が『Cafe Bohemia』/佐野元春、ピチカート・ファイヴは第7位に『カップルズ』、第46位に『スウィート・ピチカート・ファイヴ』の2枚)
今回の50年のうち、自分がリアルタイムで聴いてきたのは35年くらいになる。その中で今でも繰り返し聴く作品、またここ数年で特に印章に残った作品を基準に選んだ。1~3位は自分の音楽人生を決定付けた永久欠番。ずいぶん偏ったリストを見返して、選んだ50枚の背景には自分が好む洋楽の作品が広がっているとあらためて認識した。それはこれからも変わらないだろうし、そういう視点で邦楽を捉えていきたい。

【新田晋平】(第1位:『ナマで踊ろう』/坂本慎太郎、第4位:『にじみ』/二階堂和美、第14位:『BGM』/YMO、第15位:『BO & GUMBOS』/ボ・ガンボス、)
常にリアルタイム感のない音楽の聴き方をしてきたので、リアルタイムではない70~80年代だけでなく、90年代以降のものについても、同時代的な思い入れはほとんどなく、自分の好みに忠実に、いま聴いて面白いものを基準に選びました。歴史が浅いというハンディがあるここ数年の新しい作品についても、次の50年でも名作として聴かれ続けいってほしいものを積極的に入れるようにしました。

画像7月5日に12周年 Odde To Muse=Diva Festival 女性ボーカル1人三曲っていうのがあるそうなので、女性ボーカルを。

MuseDivaも女神だけど、Museはミュージシャンに力を与える音楽の女神、Divaは歌姫って感じかな?

リクエストは、アルバムは聴いていない、聴こえてきたシングル盤。

ドーナツ盤の時代だったかな?

翼の折れたエンジェル(1985)/中村あゆみ

CDシングルなんで同じ面だけど、カップリングの”M”は廿楽(つづら)玲子さんが第41位に選んだ『LOVERS』に入ってる、

Diamonds(ダイヤモンド)(1989)/プリンセス・プリンセス

画像Dr.Johnの追悼っていうことで、ボ・ガンボスの『BO & GUMBO』(1989)のメンバー4人の日記/録音記を読んでいた。

BO DIDDLEYはすごいやつだ。やつののりはおいらが今日までみたやつの中でサイコー。
日本の中にもすごいやつはたくさんいるがBOのおっさんはまるで怪獣だ。(どんと)


背中ゾクゾクの体験は山程あったけど、ひとつ!!と聞かれればやっぱりウガンダさん!
死ぬ程大好きなプロフェッサーのピアノの深いところ-レコードだけで想いを寄せていたあの左手の感じ-と、もう色んなことを彼のコンガが語りかけてくれた。(KYON)


毎日毎日いろんなどろ沼にはまって最後にはまったんが Half-Meters のライヴや。
俺の大好きな Neville Bros の Art Neville(キーボード)が、その昔やってたのが Meters ジャーン!!(永井利充)


ニューオリンズは良いところ♪♪
Jazz Fes最高!!一度はおいで(岡地明)


画像CDを買う前にテレビ(衛星放送かな?)で見て、デビュー・ビデオを買って、僕は、ローザ・ルクセンブルグの大ファンだったのだけど、KYONのギター・ピアノ・アコーディオン、岡地明のドラムはほんとうにすごいと思った。

ネットで岡地明の経歴を辿っていて、吾妻光良 & The Swinging Boppers~BREAK DOWN、あれ?ブレイク・ダウンって・・・と、もう20年以上探していた曲が見つかった。

高知のバンドに、Jくんが入ってバンドらしくなって、いつも1曲目にやる曲。
バンマスのCさんが持ってたレコードに入ってる曲。
僕は3コードのリズムギターだし、ドラムのMさんは一回聞いてすぐにコピーできたから、その場でカセットテープに録音したのはリードギターのJくんが持って帰った。
曲のタイトルは、「あれ」だったんで、Cさんが歌うI Don't Careかなんかそんなのってだけ。
京都のブルースバンドってだけで、ウエストロード・ブルース・バンドかな?そんな曲ないなあ・・って感じ。

You-Tubeで聴いただけなんだけど、74枚目/96枚(126枚)に選んじゃおう。

画像リクエストはA面1曲目の、

I Don't Play/『I'VE BEEN A GOOD THING FOR YOU (アイヴ・ビーン・ア・グッド・シング・フォー・ユー)』(1981)-BREAK DOWN(ブレイク・ダウン)

もう1曲、1990年のシングルだけど、元ブレイクダウンの近藤房之助のステージ衣装はKYONもやってたドクター・ジョンかな?って思う、

おどるポンポコリン(1990)/B.B.クィーンズ

去年亡くなった、いっこ上の作詞者、さくらももこさんの追悼を兼ねて。

あ、これは90年代だ。
まあ、いいや。

5曲リクエスト。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3266,3267,3268,3269,3270)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3280,3281,3282,3283,3284)

もう少しここで/黒い鳥/真赤な自転車

画像Dr.Johnが亡くなったそうで、僕はこれまで一度も日記でリクエストしたことがないのだけど、何かリクエストっていうことだと、やっぱりデビュー・ビデオ(『宇宙サウンド』)と、MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』全体ランキングで第65位の『BO & GUMBO』(1989)のメイキング・ビデオでもある『Walkin' to New Orleans』(ボ・ディドリーとのスタジオ録音シーンやニュー・オーリンズでのライブ/フェスティバル出演)やも持ってるボ・ガンボスかな?

でも、『BO & GUMBO』(1989)は1989年、大学4年生の終わりから卒業して就職した社会人1年目なので、もう少し、1987年とか1988年のこと。

あ、久保太郎さんが第21位にただ一人選んだ『ずいきの涙~ベスト・オブ・ボ・ガンボス・ライブ・レコーディングス』って書いた/言ったけど、だった。
嘘の訂正は早いうちに。
気が付いたらすぐってことで、敬称略で無断転載。

画像【矢川俊介】(第1位:『風街ろまん』/はっぴいえんど、第3位:『THE BLUE HEARTS』/ザ・ブルー・ハーツ、第32位:『ずいきの涙~ベスト・オブ・ボ・ガンボス・ライブ・レコーディングス』/ボ・ガンボス
読者だった頃、本誌には永遠の歴史があるように思えた。25歳で入社して今年が18年目になる。あっという間だったが、50年の歴史のうち18年、本誌に関わったと思うと信じられないくらい長い。50枚の選出は難しすぎて、知人関係は知り合う前から聴いていたもの縛りに。歴史的意義、今こそもっと聴かれるべきもの、個人的愛情もゴチャマゼの混乱状態ながらなんとか選出。結果は酒の肴にどうぞ。

******

Dr.Johnが亡くなって、KYON(キョン、Dr.KyOn。職場の先輩は川上君って言っていた)のピアノや、セカンド・ライン(ルイジアナ州ニューオーリンズのブラスバンドを伴った伝統的なパレードの名称。転じて、ニューオーリンズのジャズ、R&B、ファンクなどのリズム、ノリ)が話題になる今選びなおしたら、第65位からもう少し順位が上がるかもしれないな。

過去を振り返るっていうのも、振り返る時によって変わるものだと思うし、それにもやっぱり流行や傾向っていうものがあると思う。
荒井由実の『ひこうき雲』サザンオールスターズの『熱い胸騒ぎ』が上位に来たのは紅白歌合戦の影響もあると思うし、その紅白歌合戦を含む国内外の流行は『名盤ドキュメント』の影響も大きいと思う。

その『名盤ドキュメント』も、・・・と言い出すときりがないんだけど。

画像僕の日本のロック96枚(126枚)の71枚目は、オムニバス盤
企画ものっていう感じかな?
ビートルズのCDが発売になった翌年、同じレコード会社が企画した日本のミュージシャン・バンドのビートルズ・カバー集
小学校からの同級生のMが東京で買ったやつ。
こんなラインナップ。

1. ノルウェーの森/高中正義松任谷由実
(プロデュース:松任谷正隆とクレジットがある)
2. ユー・キャント・ドゥ・ザット/NOBODY
3. テル・ミー・ホワイ/阿部恭弘
4. ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス/THE WILLARD
(プロデュース:タナカ”キング・スネーク”トシツグ とクレジットがある)
5. ハニー・パイ/加藤和彦
6. オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ/アースシェイカー
7. ア・ハード・デイズ・ナイト/ちわきまゆみ
(全ての音声:ちわき とクレジットがある)
8. ロック・アンド・ロール・ミュージック/佐藤 隆
(ギター:エディ・潘 とクレジットがある)
9. ドント・レット・ミー・ダウン/忌野清志郎&仲井戸麗市
10. ヘルター・スケルター/VOW WOW
(プロデュースのイアン・テイラーは、ゲイリー・ムーアチープ・トリックのレコードにエンジニアとしてクレジットされている人だと思う)
11. ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ/伊藤銀次
(コーラス:杉真理、松尾清憲とクレジットされている)
12. ミッシェル/鈴木康博
13. ブラックバード/SHOW-YA
14. ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエアチューリップ
『All Because of You Guys - Prologue/青年チュ~リップ』(1976)から、とクレジットされている)

画像第37位に『ワインの匂い』(1975)/オフコースを選んだ松山晋也さん以外に50枚にオフコースを選んだ人、それから、ひとりだけチューリップを選んだ人の選評・感想を敬称略で無断転載。

【栗本斉】(第1位:『黒船』/サディスティック・ミカ・バンド、第18位:『Feel Happy』/原田真二、第20位:『We Are』/オフコース
なんとも無茶ぶり企画でしたが、意外にもベスト10はすんなり決まりました。はっぴいえんどと迷った挙句、1位はサディスティック・ミカ・バンドに決定。旅先で出会った海外の友人たちに「オリエンタル・ロックの傑作だ!」と片っ端から勧めまくった大好きな1枚です。セレクトした50枚は、自分の好みは多少控えめに、今の音楽シーンへの影響度や全体のバランスを考慮したので、王道になったと思います。

萩原健太】(第1位:『風街ろまん』/はっぴいえんど、第12位:『虜-TORIKO-』/甲斐バンド、第29位:『Over』/オフコース、第32位:『スニーカーダンサー』/井上陽水
拙著『70年代シティ・ポップ・クロニクル』でも書いたが、ぼくは71~75年という時期こそ米国の54~58年、英国の62~66年と並ぶ、日本のポップ史にとって最も濃密な5年間だったと思う。世代の問題?かもしれないが、いや、これはけっこう絶対的な史実じゃないかとも思う。送り手/受け手とも飛躍的に成長した時期だった。なもんで、選出したのはその時期前後に接した作品中心。古いです。すんません。

画像安田謙一】(第1位:『ハルヲフォン・レコード』近田春夫&ハルヲフォン、第29位:『ペパーランド』/森高千里、第46位:『魔法の黄色い靴』チューリップ
おかげさまで、何年かこういう仕事を続けていると、何度かこういう企画にお声をおかけいただけることになる。そんなもん、選べるかいな、と思いながら、根が嫌いじゃないので選んでしまう。今回、私が決めたルールは「前になにを選んだかな・・・」と確認しないこと。今回は原則的に1アーティスト1枚、なるべく発売年を散らしました。50年の間に、自分が着てきたTシャツを並べて眺めているような気分です。

渡辺享】(第1位:『Songs』/シュガー・ベイブ、第50位:『僕の贈り物』/オフコース
幼少の頃にリズム歌謡を自然に耳にしながら育ち、小学生の頃は主にグループ・サウンズ、中学生の頃は70年代の洋楽っぽい歌謡曲に日常的に触れていました。でも、ザ・スパイダースにしろ、ザ・タイガースにしろ、勢いがあったのは68年までで、職業作詞家と作曲家の手による歌謡曲はアルバム単位では選び難い。だから自分にとって大事なものが、リストからすっぽり抜け落ちているという気がします。

画像71枚目からのリクエストは、7月5日に12周年 Odde To Muse=Diva Festival 女性ボーカル1人三曲っていうのがあるそうなので、女性ボーカル。

僕はギターの音色男性/女性の聞き分けが出来ないんだけど、でも、女性のヘタウマ・ギタリストっていないな。

きちんとしたギターの、

ブラックバード/『抱きしめたい』(1988)-ショーヤ(SHOW -YA)

72枚目/96枚(126枚)は、MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』では誰も選んでなかったけど、関西だけかな?いや、全国的にとても人気があったと思う、アコースティック・ギター・デュオのゴンチチ。

大阪出身のゴンザレス三上とチチ松村で、ゴンチチ。

画像大学の2回生になる春に男性向けファッション誌『Men's Non-No』が創刊されて、姉が『Non-No』を買ったりしてたからか、すでに『Hot-Dog Press』(ホットドッグ)や『Popeye』(ポパイ)は誰がしかが買っていたからか、僕は阿部寛が表紙の創刊号を買った。
DC、ディー・シー・ブランドデザイナーズ&キャラクターズ・ブランドの名前を憶えて、阿部寛がお姉さんがモデルに応募した一学年上のC大の理系なんてことも知ってたな。

モノクロ家具、レコードはせいぜい5枚まで。ジャケットがかっこいいやつだけ。
ヴォーカルのないジャズ(まあ、神戸だから)とか、ちょっとかわったワールド・ミュージック(まあ、移民居留地があった港町だから)とか、前衛:アバンギャルド近代美術館なんかもあった街だから)とか。
ロックは、古いものや、英語かドイツ語だったら、まあ、それなりにって感じかな?
ゴンチチとか持ってるとおしゃれだった。

画像リクエストは、太田裕美がヴォーカルの、

もう少しここで/『Legacy of Madam Q』(1987)-GONTITI(ゴンチチ)

もう1曲。

これはさすがに日本のロックってわけにはいかないけど、POPだと思う、

真赤な自転車/『Kick Off』(1985)-おニャン子クラブ

ラグビー部のFちゃんに借りて聞いたのだっけ?
Fちゃんはラジカセしか持ってなかったはずだけど、どうやってテープに録音したんかな?
誰かに録音してもらったんだよな、ラグビー部じゃないよな、家庭教師してた高校生かな?中学生かな?

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3263,3264,3265)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3277,3278,3279)

リンダリンダ/キスしてほしい/ラブレター/人にやさしく

画像政治哲学としては、スターリンよりも、ローザ・ルクセンブルグや、アントニオ・グラムシに興味があったからかな?
単にスターリンが怖い人っていう印象だったからかな?
まあ、とにかくザ・スターリンではなかった。
遠藤ミチロウがそのパフォーマンスに影響を受けたって言ったJAGATARA(じゃがたら)(僕はこっそり買ったりした『遊び人』って週刊誌で知ったのだと思う)でもなかったし、INUでもなかった。

パンクの次がニューウェイブっていう思い込みかな?
プラスチックス/ヒカシュー/P-Modelテクノ御三家ニューウェーブって言われてたけど、その前っていうと思いつかなかったのかな?

MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』全体ランキングで、第13位の『南蛮渡来』(1982)/暗黒大陸じゃがたらでも、第20位の『メシ喰うな!』(1981)/INUでも、第24位の『軋轢』(1980)/フリクションでも、第29位の『Phew』(1981)/Phewでも、第34位の『ライブ』(1975)/村八分でも、第39位の『ウェルカム・プラスチックス』(1980)/プラスチックスでもなく、
第52位の『STOP THE JAP』(1982)/スターリンでもなく、第53位の『マラッカ』(1979)/PANTA & HALでもなくて、第86位の『頭脳警察セカンド』(1972)/頭脳警察でもなくて、
ピストルズやクラッシュやジャムやラモーンズってことなら、一番近いのは、金曜日にリクエストして、ga-wa-さんと、
コンサートにも行ってほんと好きでしたよ
のどが細いから最後までデスボイス続かないんですよね
って笑っていた、
パンク蛹化の女戸川純とヤプーズ
とか、
少年ナイフ
とかかな?

画像いや、やっぱりこれだな。
僕は、いっこ年上なんで、「RCサクセション亜無亜危異(アナーキー)とも別種の”気のおけない兄貴感”」(原田和典)っていうのはなかったけど、MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』で多くの人が選んだ、ブルーハーツのデビューアルバム

これまで、選評、結果の感想を無断転載したひとに限っても、

今井智子さんが第21位に(第1位は『RHAPSODY』/RCサクセション)、
廿楽玲子さんが第6位に(第1位は『First Love』/宇多田ヒカル)、

大鷹俊一さんが第45位に、
近藤康太朗さんが第13位に、
『THE BLUE HEARTS』(1987)/ザ・ブルー・ハーツ

を選んでいる。

画像ブルーハーツを選んだ人はみんなデビューアルバムの『THE BLUE HEARTS』(1987)なんだけど、ひとりだけ3枚目の『TRAIN-TRAIN』を選んだ人の選評、結果の感想を無断転載。
敬称略で。

【小田部仁】
平成元年生まれの筆者が生きてきた肌感覚で、2019年の今、若いリスナーの間で名盤とされている作品、そして、変わらずに聴き継がれている作品を選出させていただきました。昨今、いいか悪いかは別として、作品と作者が強固に結ばれたメタ的なポップスが特に増えているような気がします。そこを一歩超えてリスナーが勝手に解釈できるような作品こそが、のちに名盤と呼ばれるのではないかと思う次第です。

日本のロック70枚目/96枚(126枚)は、出来るだけ年代順にって思ってるので、1987年『THE BLUE HEARTS』(1987)/ザ・ブルー・ハーツ

リクエストは、やっぱり、

リンダ リンダ/『THE BLUE HEARTS』(1987)-ザ・ブルー・ハーツ

画像四人囃子プラスチックス佐久間正英が共同プロデュースしたセカンドアルバムからも。

パンクはやっぱりシングル盤!ってことで、シングルになった曲。

キスしてほしい (トゥー・トゥー・トゥー) /『YOUNG AND PRETTY』(1987)-ザ・ブルー・ハーツ

これはパンクじゃないかな?サードアルバムから、

ラブレター/『TRAIN-TRAIN』(1988)-ザ・ブルー・ハーツ

もう1曲。

アルバムデビュー前の自主製作のシングル盤。

人にやさしく(1987)-ザ・ブルー・ハーツ

画像聴こえるか?
がんばれー!


聴こえないだろうな、
でも、いいや

がんばれー!!

がんばれー!!

あああ

あなたにも

聴かせたい

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3259,3260,3261,3262)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3273,3274,3275,3276)

原宿エブリデイ~ブルーライトヨコハマ~/かかしの王様ボン(1986)

画像今年の開催W大でなくてM大だったのだけど、誰から誰への連絡かはちょっとよく分からなかった(擬人化して言えば大学から学生にってことだろう)、掲示してあった連絡票を見ていると、いわゆる文系の学部は、僕の通った大学の経済学部っていうのはなくて、法学部、商学部、政治経済学部、文学部、経営学部。


情報コミュニケーション学部とか、国際日本学部とかっていうのは、文系/理系じゃなくってリベラル・アーツかな?


W大も政治経済学部、法学部、文化構想学部、文学部、教育学部、商学部、社会科学部、人間科学部、国際教養学部で、経済学は政治学と同じ分類。


経済学だけっていうのは、ちょっと古いのかな?

政治学っていうのは僕の通った大学では法学部に政治学科というのがあったのだっけ?

履歴書を書いていた政治顧問のような仕事をした I 教授は法学部の教授だったよな?

政治学の授業は経済学部にもあったけど、学科は経済学科ひとつだけだったな。


1985年1回生 (1年生)と、1986年2回生 (2年生)の前期(4月から9月)までの一般教養(ぱんきょう)は、出席を取ったり、レポートを提出が必須だったりっていうのが多かったのだけど、学部に上がってからは、経済学部はほとんど試験だけ。


今でも変わらないと思うけど、「単位」っていうのは、英語の unit ではなくて、creditpoint を日本語にしたものだと思う。

単位を取るって変な日本語だけど、まあ、専門用語かな?


画像教科書も買わず、授業も出席せず、試験前に字がきれいな野郎(やろう)や女子学生(経済学部はほとんどいなくて、同じ科目を受けることが多い法学部や経営学部)のノートや去年の問題とかを大量にコピーするのが一般的だったかな?

そういうのがcool (かっこいい)だった。


僕は一度やってみたけど、どうも人が書いたノートのコピーっていうのは苦手で、お金もかかるんで、授業は出なかったけど、教科書を買って、普通に本を読むような感じで読むことが多かった。


*****


もう、ひと月半も前になる、4月5日金曜日、ロックバーのイベント、バイバイ平成は、僕は同い年っていうのをテーマにしたんで選ばなかったけど、MUSIC MAGAZINE 2019年4月号、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』では沢山の人が選んで全体では第65位に『BO & GUMBO』(1989)がランキングされたボ・ガンボスを3曲でもよかったな。


ポケットの中(1989:平成元年/1992:平成4年)、ずんずん(1989:平成元年)、ナマズでポルカ(1990:平成2年)なら、収録アルバムも別々で、始まりってことだと平成って感じだし。


でも、まあ、日本のロック96枚(126枚)は、まだ昭和。


画像僕が一番好きな日本のバンドのローザ・ルクセンブルグは、ベスト盤の要素もあるライブ盤を選んだのだけど、やっぱり一番好きなバンドだから曲が被るのだけど、全体ランキングの第132位に入った『ぷろぷり』(1986)と、松永良平さんが第37位に選んでいた『ROSA LUXEMBURG Ⅱ』(1986)も。


ローザ・ルクセンブルグを選んだのはこんな人たち。

敬称略で無断転載。


あ、第7位に『ぷりぷり』(1986)を選んだ岡村詩野さんは、ひと月まえに転載したので、省略。

同世代(?)の岡村詩野さんの選盤はまた今度。


【方便凌】(第1位:『空洞です』ゆらゆら帝国、第9位:『ぷりぷり』/ローザ・ルクセンブルグ)

ランキングを作成するということはひとつの歴史観を提示するということで、わかっていたけれども大変な作業でした。そんなものないからです(いや、ある。けれど、いまも有効なのかとは思っている)。どうせならティーンエイジをゼロ年代の都市郊外で駆け抜けた人間としてのリアルを注入させたいと思った。それも難しかった。しかし今後はもう少しあの時代に目を向けてもよいんじゃないかとも思う。


画像松永良平】(第1位:『HOSONO HOUSE』/細野晴臣、第37位:『ROSA LUXEMBURG Ⅱ』/ローザ・ルクセンブルグ)

2019年の東京は『風街ろまん』の原風景でもあった「オリンピックに向けて破壊されてゆく街」の再現にも見えるけど、目の当たりにしてる現在の改変はロマンどころか空虚で場当たり的で暴力的で、とても以前とおなじように感傷を引き受けることはできないなと感じてる(作品の素晴らしさが変わるわけではないけど)。50年を俯瞰して並列に、と客観的にはなれず、結局50年目のいまを聴くつもりで選んだ。


【村尾康郎】(第1位:『ロング・バケイション』大瀧詠一、第36位:『ぷりぷり』/ローザ・ルクセンブルグ)

個人ベストに関しては、各アーティスト(各名義)につき1枚という縛りで選んだが、あまりにも範囲が広いので私的なランキングになった。総合ベストで驚いたのは、ゆらゆら帝国の突出ぶり。30位圏内に入った唯一の00年代の作品でもある。時代を超えたベストは歴史的な意味も加味してしまうが、そういう背景を抜きにして聴き比べたらどうなるのか。海外のリスナーが選ぶ同テーマのベストも見てみたい。


画像あ、『KAMAKURA』(1985)/サザンオールスターズは、かこいゆみこさん、松山晋也さんのふたりって言った(書いた)けど、久保太郎さんも第37位に選んでた。


また、嘘をついた

ご容赦。


【久保太郎】(第1位:『AVENTURE』/大貫妙子、第36位:『KAMAKURA』/サザンオールスターズ

選盤/順位づけはやはり悩みましたが、昨今の流れを考えて、ソング・オリエンテッドなものでアルバムとして完成度が高いと身に染みて感じた作品を選びました。その結果は、「ベスト100」にはあまり反映されませんでしたが(苦笑)、特に歌謡曲系は改めて別立てでランキングしたほうがいいのかなと思いました。あと、私がハマっ子である点を差し引いても柳ジョージや石黒ケイのアルバムは素晴らしいのでぜひ。


久保太郎さんが第21位にただ一人選んだ『ずいきの涙~ベスト・オブ・ボ・ガンボス・ライブ・レコーディングス』は1989年(平成元年)のデビュー前、1988年(昭和63年)の音源も入っているので、96枚(126枚)の候補だけど、ボ・ガンボスは平成に入ってから。


画像68枚目からのリクエストは、51枚目/96枚(126枚)に選んだ『LIVE AUGUST』1987)に入ってない曲。


ファンキーなムード歌謡みたいな(いや、むしろ小梅太夫かな?)、


原宿エブリデイ~ブルーライトヨコハマ~/『ぷりぷり』1986)-ローザ・ルクセンブルグ


69枚目からのリクエストは、51枚目/96枚(126枚)に選んだ『LIVE AUGUST』1987)に入ってない曲。


FMラジオでスタジオ・ライブが放送された(「さわるだけのおっぱい」もやったかな?放送禁止じゃなかったと思う)、




upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3257,3258)

コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3271,3272)

インド人になりたい/10$の恋(1985/1986)

画像GW10連休中にはステレオでレコードっていう日や神戸のFMラジオっていう日もあったのだけど、年間で平均すると(いや、別に平均してみなくてもいいのだけど)一番音楽を聴いているのはスマホで。次がカーステレオに保存されたCDから録音した(300枚分くらいが保存できる)のを車で。

ブログ紹介では、かなりざっくりと、

子供のころはFMラジオで、
中学生からは廉価盤の輸入レコードで、
大学生の途中からはCDでも、
コモンストックがあった時はコモンストックで、
最近はiPodで、ロックを聴いています。
(2007.3.11記)

なんて書いてるんだけど、1985年、高校を卒業して大学に入った年から1986年、大学二年生の終わりに車を買う(ラグビー部の先輩の義兄から譲ってもらった)までの間は、テレビが一番だったと思う。

画像受験勉強をしなくていいし(もちろん大学にだってレポートも試験もあったけど暗記は必要なかったのでテレビを見ながらもできる)、ラグビーの練習は11:00-14:00だから夜更かしもできたし夕方やっているのも見れた(授業は9:00-10:30の一限:いちげんと、15:00-16:30の4限:よんげんには出れたし、出席を取らないのがほとんどだったから家でテレビが見れた。下宿組で一年生からテレビを持っていたのは一人もいなかったと思う)。

ソニーMUSIC TVベストヒットUSAPOP・ベティ・ハウスなんかのMTV
歌謡曲中心の音楽番組NHKの結構しっかりした歌番組
それから大阪ローカルのライブを放送する番組も結構あった。
「誰がカバやねんロックンロールショー」とか、中島らもが司会やってるやつとか・・・

『レコード・コレクターズ』の増刊号『遺作』(1998年)江戸アケミ(1953-1990)のレビューを書いた近藤康太朗さんは出身、大学東京で、仕事(新聞記者)も東京が長かったようだけど、選評、感想、思いはちょっと関西弁
敬称略で無断転載。

画像近藤康太朗
70年代の先達による精進努力を、評価してし過ぎることはない。本誌ベスト3を始め、リストはおおむね妥当と考える。だが、それが花開き、日本のロックが世界有数レベルに爆発したのは、90年代アンダーグラウンドにおいてだった、というのがわたしの史観であり、自身のリストに反映してもいる。PSFやアルケミーらのレーベルの作品群に、なんぼ救われたことか。1位で、生悦住英夫さんの魂を悼みたい。

第一位に選んだ『Tokyo Flash Back』(1991)は、僕は全く知らなかったオムニバス盤

Marble Sheep & The Run-Down Sun's Children、High-Rise、Ghost、不失者、White Heaven、Verzerk、光束夜、灰野敬二だと、ハイライズや灰野敬二はロックバーにリストアップされてたかな?

画像まだ20年/52年くらいの僕の日本のロック96枚(126枚)と同じのは、

第12位:『ライブ』/村八分
第17位:『氷の世界』/井上陽水

第23位:『南蛮渡来』/暗黒帝国じゃがたら
第25位:『メシ喰うな!』/INU
第26位:『PLEASE』/RCサクセション
第29位:『ロングバケイション』/大瀧詠一

第30位:『SOMEDAY』/佐野元春
第35位:『ひこうき雲』/荒井由実

第47位:『有頂天』/サンハウス

アルバムは違うけど、遠藤賢司を2枚、はっぴいえんど『風街ろまん』沢田研二Phew

画像66枚目は、1985年、1986年にテレビで見たやつ。

大江千里聖飢魔Ⅱ(っていうかアニメ・ソング~関西メタルかな?)や上田正樹(っていうかAOR~ソウルっぽい歌謡曲かな?)のパロディも入ってるけど、洋楽のネタもたくさんやったライブハウスの録画を流したテレビの方が面白かった、おかげ様ブラザーズ

リクエストは、プロモーション・ビデオには中島らもやキッチュも出演していた、

インド人になりたい/『X-Gun』(1985)おかげ様ブラザーズ

67枚目も、1985年、1986年にテレビで見たやつ。

三年生になってからだから1987年だと思うけど、ラグビー部の下宿組の行きつけの串カツの屋台に座っていた、憂歌団

ライブ・アルバムの発売は1977年だから、小学校4年生までもどっちゃうな。
僕が持ってるのは、1994年かな?にCDになった相倉久人×タモリの対談がついたやつ。

リクエストは、これは放送禁止かな?

10$の恋/『”生聞”59分!!』(1977/1994)憂歌団

恋の歌を2曲リクエスト。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3255,3256)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3269,3270)

少年ナイフ(1984)/大江千里(1985)/佐野元春(1986)

画像A-Musik(アームジーク)の不屈の民/『e ku iroju』(1984)はちゃんと聴いたのはupset the apple-cart(2007- )が出来てからなんだけど、雑誌で読んで知っていた。雑誌じゃなくて、単行本かな?1985年(MUSIC MAGAZINEの別冊扱いだった1982年が創刊かな?)、僕が大学の1年生の時に創刊された、『MUSIC MAGAZINE』の姉妹誌、『レコード・コレクターズ』の増刊号『遺作』(1998年)

亡くなったミュージシャンと最後のアルバム(遺作)のレビューを集めたもので、日本のミュージシャンだと、こんな人たちがこんな人たちを。
敬称略で。

1966年生まれの僕とあまり年の変わらない、
岡田有希子(1967-1986)高橋修
尾崎豊(1965-1992)今井智子
hide(1964-1998)小野島大

10歳とか15歳とか年上の、
江戸アケミ(1953-1990)/近藤康太朗
篠田昌已(1958-1992)後藤幸浩
※篠田昌已のプロフィールに生活向上委員会大管弦楽団~じゃがたらA-Musik~コンポステラとある。

画像日本のロック96枚(126枚)の62枚目、『e ku iroju』(1984)-A-Musikは、『MUSIC MAGAZINE』/『レコード・コレクターズ』というより『rock’n on』かな?って印象の(買ったら全部読むけど滅多に買わないんで熱心な読者じゃないんだけど)大鷹俊一さんが、第44位に選んでいる。

大鷹俊一
69年からという枠組みはよくわかるが、やはり『ジャックスの世界』フォークル『紀元貮阡年』は入れたかったし、心の中では上位に飾ってある。この手のアンケートってだいたい10枚が相場で、かなりフラストレイションも残ることが多く、今回の50枚選は、悩みに悩んだが、とても楽しめた。今でも好きなものがきちんと自分の音楽ヒストリーになっているのが確認できたので嬉しかった。

63枚目/96枚(126枚)は、大鷹俊一さんが第48位に選んだアルバム。

僕は、有名だったけど、アルバムを買おうとかライブに行こうとかいうことは思いつきもしなかった(バナナ・チップスをやった『FUJI ROCK』のアルバムは買った)少年ナイフ

画像フリクション『フリクション(通称:軋轢)』を第一位に選んだ大鷹俊一さんの50枚は、僕のこれまでの日本のロック96枚(126枚)と、対象年度の被りだと16、7年/50年なんだけど、同じアルバムも何枚か

第5位が、『喜納昌吉&チャンプルーズ』(1977)/喜納昌吉&チャンプルーズ
第10位が、『メシ喰うな!』(1981)/INU

第11位が、『ライブ』(1973)/村八分
第17位が、『黒船』(1974)/サディスティック・ミカ・バンド
第18位が、『はっぴいえんど』(1970)/はっぴいえんど

第25位が、『SATORI』(1971)/フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin' Band)
第27位が、『南蛮渡来』(1982)/暗黒大陸じゃがたら

第32位が、『氷の世界』(1973)/井上陽水
第36位が、『有頂天』(1975)/サンハウス

第44位が、『e ku iroju』(1984)/A-Musik

画像アルバムは別だけど、同じミュージシャン・バンドってことだと、
第3位が、遠藤賢司『満足できるかな?』)、
第23位が、イエロー・マジック・オーケストラ『ソリッド・ステイト・サバイバー』)、
第34位が、憂歌団(『”生聞”59分!!』)、
第37位が、山下達郎『RIDE ON TIME』
第46位が、あぶらだこ『青盤』)、
第50位が、サザンオールサターズ『熱い胸さわぎ』

バンドメンバーは違うけど、
Phew(僕はアーントサリーを選んだ)は、第2位に『Phew』、第22位に『ファイヴ・フィンガー・ディスカウント~万引き』、第31位が『幸福のすみか』(山本精一&Phew)、
萩原健一(僕はPYGのライブ盤を選んだ)は、第12位に『熱狂!雷舞!』、
早川義男(僕のリストは1966年からなのでジャックスを選んだ)は、第15位に『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』、
加藤和彦(僕のリストは1966年からなのでフォーククルセイダースサディスティック・ミカ・バンドを選んだ)は第42位に『それから先のことは・・・』、
山口冨士夫(僕はザ・ダイナマイツ村八分を選んだ)は、第43位に『ひまつぶし』

画像僕はアルバムは選ばなかったけどリクエストしたことがあるのだと、第1位と第35位にフリクション(第47位にE.D.P.S.)、第4位に矢野顕子、第8位に岡林信康、第13位にキャロル、第19位にPANTA,、第20位に鈴木慶一ムーンライダース、第21位に近田春夫&ハルヲフォン、第24位にアナーキー、第26位に久保田麻琴と夕焼け団、第38位にシーナ&ロケッツ、第40位にあがた森魚、第41位に南佳孝のアルバムを選んでる。

ナンバーガールや、ゆらゆら帝国や、ボアダムス、たまなんかは、僕もこれから選ぶかもしれないな。

*****

高校を卒業して大学に入った年の1985年は、僕にとっては結構区切りであったような感じがしているんだけど、大晦日お正月・12月31日/1月1日というのではないし、卒業式入学式・何日だったかな?というのでもない。
19歳の誕生日というのでもないし、友達が死んだ日というのでもないし、特別な出会いや別れというわけでもない。
上手く説明できないなら、そんなに区切りってことでもないのかもね。

文字で書いて文章にしていくと、量・価値の計算的評価(アセスメント)が出来るのかも知れないな。
頭の中にあるものはなかなか見直すことが出来ないけど、文字にして文章にすると読み直すことが出来るからね。

画像63枚目は、これまでの96枚(126枚)の多くと同じ、持ってないやつ。
大鷹俊一さんが選んでて、あっ、て思った少年ナイフ
大学は、他のことはともかく、港を見下ろす山の斜面にあったので夜景は日本一。
登山口(とざんぐち)なんていうバス停もあって、自転車は使えなかったけど、教育学部や理学部の昆虫採集にもいい感じ。
リクエストは、

Cycling is Fun/『山のあっちゃん』(1984)-少年ナイフ

64枚目は、近くの大学生の頃からライブハウスとかで有名だった大江千里
高校のラグビー部は僕以外全員浪人で(1985年頃は男子は浪人するのが当たり前って感じだった)、合格発表の後、大学が始まるまでは特にすることがなくて、体育祭で一緒に写真を撮ってくれって頼まれて、アルバム委員が現像してきた写真を欲しがった(アルバム委員は結局その写真は載せなかった)、_に電話をしたら、あっという間に2時間が過ぎていて変な感じがした。
リクエストは、

REAL/『未成年』(1985) -大江千里

画像65枚目は、これまで2枚選んでて3枚目の佐野元春
これはラグビー部のIが買ってCDで借りた。それまでのはカセットテープだったので、あんまり音がいいんでびっくりしたな。JAMは一枚しか持ってなかった『All Mod Cons』(1978)ばっかり聴いていて、スタイル・カウンシルはシングルでの発売だったから買わなかった。佐野元春はイベントのテーマソングでNHKでよく流れていたけど、それまでの4枚(『NO DAMAGE』を入れると5枚)の方がずっと良いと思った。
リクエストは、

99ブルース/『Café Bohemia』(1986)佐野元春

もうちょっと量・価値の計算的評価(アセスメント)をした方がいいとは思うけど、総括(そうかつ)っていう言葉へのアレルギーってやつなのかもね。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3252,3253,3254)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3266,3267,3268)

水銀/『虫』/不屈の民/『e ku iroju』/1984

画像サザンの『KAMAKURA』(1985)を「50人のうち、かこい(栫)ゆみこさんだけが選んでいる。」なんて書いたけど、嘘だ。
もう一人、こんな選評、感想、思いを書いた方が、選んでた。
敬称略で無断転載。

【松山晋也】
後世への影響力やつながりを最重視した上で音楽史的価値、自分の好みなどをすり合わせつつ、1アーティスト1枚という縛りで選盤。あと、”日本大衆音楽のキモは編曲の妙にある”という長年の信念も今回はかなり反映させた。渡辺真知子や南佳孝、大橋純子、トワ・エ・モワ等での船山基紀や佐藤隆萩田光雄、東海林修などの才能こそは日本の宝だ。ちなみに近年私が最も聴いているのは赤い鳥。村井邦彦は、神。

16年/50年だけど被ったのは、
『元気です』(1972)/よしだたくろう(第7位)
『BGM』(1981)/イエロー・マジック・オーケストラ(第12位)

『喜納昌吉&チャンプルーズ』(1977)/喜納昌吉&チャンプルーズ(第19位)
『黒船』(1974)/サディスティック・ミカ・バンド(第23位)
『ライブ』(1973)/村八分(第30位)

画像『ロング・バケイション』(1981)/大瀧詠一(第31位)
『み空』/金延幸子(第33位)
『メシ喰うな!』(1981)/INU(第44位)

『KAMAKURA』(1985)/サザンオールスターズ(第47位)
『南蛮渡来』(1982)/暗黒大陸じゃがたら(第49位)で、

選んだアルバムは違うけど、
荒井由実(2番目に票を集めた『MISSLIM』)、中島みゆき愛していると云ってくれ)、山下達郎(ひとりだけのCIRCUS TOWN)、吉田美奈子(ひとりだけのLIGHT'N UP)、遠藤賢司(ひとりだけのKENJI)、PYG(ひとりだけのPYG)、オフコース(!、同級生も買わなかった『ワインの匂い』)、(Phew)、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド欲望の街が入った編集盤の『BALLAD of D・T・B・W・B 』)、あぶらだこ(タイトルは一緒だけど、通称『青盤』)。

こんなにかぶると僕も『MUSIC MAGAZINE』の熱心な読者みたいだけど、もっぱらクロス・レビューの立ち読みくらい。
大学の学園祭で配ってたミニコミとかの印象ではハードコア・パンクが流行ってたかな?

画像61枚目/96枚(126枚)は10連休中に遠藤ミチロウの訃報が入って来たザ・スターリン

ロックバーのパンク・イベントでもリクエストがあった『STOP JAP』(1982)をたくさんの人が選んでいた。
僕の通っていた高校ではなぜだか全く聴いてるやつはいなかったけど(もちろん、僕も聴かなかった)。

リクエストは、松山晋也さんが第46位に選んだハードコアっぽいアルバムから、

水銀/『虫』(1984)-ザ・スターリン

あ、1984年に戻っちゃった。

では、62枚目/96枚(126枚)も1984年で。
1984年、高校2年生は聴かなくて、多分社会人も聴かなくて、大学生だけが聴いてた感じの、

不屈の民/『e ku iroju』(1984)-A-Musik

A-Musikを聞いてたのは一人もいなかったと思うし、アー・ムジークって読めたのも一人もいなかったと思う。
でも吹奏楽部とか、その友達とか、クラブには入らず英語と世界史以外の科目は全部捨てて映画ばっかり見てたYとか、その友達とか、『不屈の民』って曲は結構みんな知ってたんじゃないかな?
高校生だからね。

コモン・ストック(1991-1999)にはなかったと思うけど、upset the apple-cart(2007- )にはリストアップされて5回くらい聴いたな。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3250,3251)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3264,3265)

『バラッド '77&'82』(1982)/『KAMAKURA』(1985)

画像MUSIC MAGAZINE 創刊50周年記念ランキング『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』の50人の選者の1位から50位のリストを日記に書いていこうと思っているのだけど、
50年というのはMUSIC MAGAZINE 創刊の1969年から2019年(平成31年/令和元年)で、
1966年、僕が生まれた年を起点にした僕が選んだ日本のロック96枚(126枚)をちょっと振り返りながら

でもまだ1985年(1枚先行して1987年を選んでいるけど)だから、今のところ16年/50年。

この後選ぶのはまだ決めてないんだけど、50人全員のリストを日記に書く頃には追い付くかな?

60枚目/96枚(126枚)は1985年。
サザンオールスターズ

初めて聴いたのは、多分みんなそうだったと思うけど、ザ・ベストテン
勝手にシンドバット
小学校6年生

画像クラスの何人かはシングル盤(真ん中に穴が開いているのでドーナツ盤って言った)を持っていたけど、アルバムはお兄さんやお姉さんも含めて一人もいなかったと思う。
だから、MUSIC MAGAZINE 創刊50周年記念ランキング『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』でデビューアルバムの『熱い胸騒ぎ』(1978)を選んでいる人が多かったのにはちょっとびっくりした。

僕らがアルバムで聴くようになって、おお、これはすごいって思ったのは、2枚組の『KAMAKURA』(1985)かな?
50人のうち、かこい(栫)ゆみこさんだけが選んでいる。
第14位。

これまで、96枚(126枚)に選んだのだと、
『A Long Vacation』(1981)/大瀧詠一が第7位、
『For You』(1982)/山下達郎が第12位、
『一触即発』(1974)/四人囃子が第15位、
『SATORI』(1971)/フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin' Band)が第18位、
『黒船』(1974)/Sadistic Mika Band(サディスティック・ミカ・バンド)が第19位、
『Cliché〔クリシェ〕』(1982)/大貫妙子が第26位、
『玉姫様』(1984)/戸川純が第39位。

画像はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)を、
イエロー・マジック・オーケストラ『TECHNODELIC』(1981)を、
RCサクセション『RHAPSODY』(1981)を、
吉田美奈子は『EXTREME BEAUTY』(1995)を、
松任谷由実『昨晩お会いしましょう』(1981)を選んでいる。

結構かぶってる。

『LIFE』(1994)/小沢 健二とか、
『家庭教師』(1990)/岡村靖幸とか、
『東京』(1996) /サニーデイサービスとか、
これまでにリクエストした曲の入ったアルバムを選んでいるから、僕も選ぶことになるかな?

2枚ずつ選んでる細野晴臣と坂本龍一矢野顕子サンディーは選ばなかったけど、『空洞です』(2007)を選んだゆらゆら帝国もかぶるかな?

画像60枚目/96枚(126枚)は高校まで陸上部だったラグビー部のK(スタイル・カウンシルのコンサートに一緒に行った)が好きだったアルバム。

リクエストは、

Bye Bye My Love (U are the one)/『KAMAKURA』(1985)-サザンオールスターズ

2年生くらいから電車で通うのが大変と始めたKの下宿では、具(ぐ)が豆腐だけの『鍋(なべ)』(Kは京都出身だ)を御馳走(ごちそう)してもらった。サザン聴きながら。
下宿に彼女が来るようになってからはあまり行かないようにしてたかな?

卒業してからも職場が一緒になったKは見舞いにも来てくれて、職場をやめて親族でやっている会社に移ってからは会わなくなったけど、Kの別れた彼女とは今でも年賀状をやり取り。

学生時代は話をしたこともなかったのに変なもんだ。

もう1曲。
カセットテープで発売になった、このアルバムもKの下宿で聴いたかな?

流れる雲を追いかけて/『バラッド '77〜'82』-サザンオールスターズ

桑田佳祐満州からの引揚者であった父親の話を聞いて制作した曲だけど、「Ya Ya (あの時代を忘れない)」の次だし、僕らは、全然別のことを考えていたと思う。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3248,3249)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3262,3263)

フレンズ(1985)/Raspberry Dream(1986)/Super Girl(1989)

画像2019年、平成31年4月30日、平成(へいせい)最後の日にも、2019年、令和(れいわ)元年5月1日、令和最初の日にも日記はつけていたのだけどロックバーへのロックのリクエストはせずに終わった/終わろうとしている。
日本のロック96枚(126枚)は、僕にとってはちょうど高校を卒業して大学に入った1985年で、まあ、1989年、昭和最後の年、平成元年が就職した年だからそっちの方が区切りでしょ?っていうのも尤もなのだけど、僕には1985年の方が。

住んでる場所が変わったわけじゃない。小学校の三年生に宝塚の社宅から越してきた山を切り崩して出来た新興住宅地
差別とかそういうものを目の当たりにしたダウンタウンの高校から、港を見下ろすアップタウンの大学に通い始めたってことかな?
いや、18歳はそんな了見(りょうけん)で過ごしたわけじゃないと思う。

2016年、平成28年のボブ・ディランノーベル文学賞受賞スピーチにこんなのがあった。

(略)
そうして、私は自分が目指したことを長い間やり続けてきました。たくさんのレコードを作り、世界中でたくさんの公演を開きました。
しかし、私がやることほとんど全ての中枢にあるのは、曲です。
私の曲は多くの異なる文化を通じ、たくさんの人々の人生の中に入り込んだように見えます。
私はそれを嬉しく思っています。

しかしながら、このことは言わなくてはなりません。演奏者として私は5万人を前に演奏したことも、50人を前に演奏したこともあります。
そして、50人を前に演奏するほうが難しいのです。
5万人は1つの人格(persona)となりますが、50人はそうではありません。ひとり一人が、それぞれ別の違った個性(identity)、言葉(word)を持ちます。彼らは物事をより明確に見抜くことができるのです。
あなたの誠実さ、それが才能の深さとどう結びつくのか、試されるのです。

ノーベル委員会も小さい組織です。これが意味することは、こういうことだと、私は理解しております。

(略)

(2016年。ボブ・ディラン

画像現実の問題として直面するようになったのは、1989年、平成元年、働き始めてからだと思うし、平成(へいせい)が令和(れいわ)に変わった今も働き続けているのだけど、
組織、集団が持つ人格(persona)と個の持つ個性(identity)を区別して考えるようになったのは、1985年、昭和60年、高校を卒業して大学に入ってからだと思う。

順番が逆でニューウェイブの後にやってきたパンクの影響もほんの少しはあったかな?

”Personally,・・・”という英語は気にならないのに、どちらかというと集団人格的特性を言い訳にする「個人的には」なんて言い方に反感を持つようになる年齢になったってことかな?

学問としては個ではなく集団、一つひとつではなくて傾向とかというものを対象にした経済学を専攻することになって「経済原論」の教科書を読むようになったからかな?

仕事は1人でやるものではなくて集団や複数で何らかの集団、複数とのつながりの中でやるものだから、その活動は理解がしやすい人格を持たせた方が、・・・あ、これは平成(へいせい)になってからのことかな?

大学でもラグビーをやることにして、W大やM大、K大やD大のような強いチームではなかったけど、高校よりもレベルが高くて人数も多かったから、そんなことも考えるようになったのかな?

いや、単に、受験勉強をしなくてよくなったとか、戦争や平和について、大学で習った「科学的に」考えるようになったとか、そういうことかな?

画像2019年、令和元年が始まった日にBBC NEWSに”Akihito: The Japanese emperor with the human touch”(Rupert Wingfield-Hayes, BBC News, Tokyo) という記事が載った。

BBC NEWS JAPANの邦訳は「天皇陛下、その人間らしさ」。
全文を無断転載。コピペで。

「天皇陛下、その人間らしさ」-Akihito: The Japanese emperor with the human touch

春らしい清々しい朝だった。私は先週、東京西部の郊外の路上に立っていた。道路の両側には何百メートルにもわたり、興奮した面持ちの人の列が続いていた。そのとき、ほとんど何の前触れもなく、黒色の大きなリムジンが両側にオートバイの警護隊を従えて橋を渡ってきた。

その車両が通り過ぎたとき、ほんの一瞬、明仁天皇、美智子皇后の両陛下が体を前に傾け、軽く手を振るのが見えた。歓声のうねりとビニール旗の波が起こり、やがて消えた。

私にとって、それは少々あっけなく思えたし、そう思ったのは私だけではなかった。近くにいた高齢の女性は警察官を責めた。

「どうしてあんなに速く行ったの?」と女性は聞いた。「普段はもっとゆっくりなのに。お顔を見る機会なんてめったにないのに」。

警察官は辛抱強くほほ笑んだ。警察官が車列の速度を決めることは、もちろんできない。

この日の天皇・皇后両陛下の昭和天皇山稜への拝礼には、筋金入りの皇族ファンが数百人集まる程度だろうと思っていた。だが実際には、5000人以上は集まっていたはずだ。集まった人たちが三々五々に散らばり始めると、中には涙を拭う姿もあった。

「日本人のためにしていただいたことを、ありがたく思っています」と、美しい着物姿の女性は話した。「長い年月に対する深い感謝の気持ちを込めて手を振りました」。

「本当に感動しました」と女性の友人は言った。「長年のおつとめを終えられた天皇陛下が、ゆっくりと幸せな時間を過ごされることを願っています」。

だらりと垂れた大型の日よけ帽をかぶったスギヤマ・カオルさんも、友人たちと一緒に来た。

「私は戦争世代ではありません」とスギヤマさんは言う。「でも、振り返ると、平成時代の日本が平和だったのは天皇陛下のおかげだと思います。ですから、陛下の最後の訪問でお顔を見て、感謝の気持ちを示したいと思ってやって来ました。陛下には『ありがとうございました』とお伝えしたいです」

こうした気持ちを抱かせる天皇陛下は、いったい何をしたのだろうか。

画像「最高慰問者」-The consoler in chief

1989年1月、昭和天皇の死去にともない、天皇陛下が即位した。

楽観的な時代だった。日本は金回りがよく、戦後の経済発展のピークを迎えていた。ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収する直前で、三菱地所はニューヨークのロックフェラーセンターの買収を目前にしていた。世界中で、新たな「超大国」としての日本が話題になっていた。

しかし、天皇陛下が即位した翌年、災難が起こった。バブル経済がはじけ、東京の株式市場で株価が35%も暴落した。バブル崩壊から30年近くたつが、日本の株価と地価は1990年代の水準を下回ったままだ。

ほとんどの日本人にとって、平成(「平和の達成」を意味する)時代は経済停滞を意味してきた。加えて、悲劇に見舞われた時代でもあった。

1995年1月、マグニチュード6.9の大地震が神戸の街を襲った。ビルや道路の陸橋が倒壊し、火災が何日も続いて空が暗くなった。死者は6000人を超えた。

2011年には、さらに甚大な被害をもたらす地震が東北地方の沖合で発生した。マグニチュード9は、記録が残る中で、日本における4番目に大きな地震だった。この地震は巨大津波を引き起こし、東北沿岸の町々に壊滅的な被害を及ぼして、約1万6000人の命を奪った。

この2番目の災害の後、天皇陛下は過去の天皇がしなかったことをした。テレビカメラの前に座り、国民に向けて直接語りかけたのだ。

その2週間後、天皇・皇后両陛下は、東京から離れたスタジアムに設置された避難所を訪れた。

被災者たちは、床の上にわずかな所持品を積み重ねて生活していた。多くの人々は、福島第1原発の損壊によって出た放射線から避難していた。ほとんど全てを家の中に残したまま、いつ、果たして戻れるのかどうかさえわからずに、避難生活を送っていた。

天皇・皇后両陛下は床に膝をつけて家族を一組ずつ訪ね、静かに話しかけ、質問をし、いたわった。

保守層にとってはショッキングな、天皇陛下の姿だった。天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫にあるべき振る舞いではなかった。しかし、それを上回る数の日本人が、天皇陛下の人間味あふれる感情表現に深く感動した。

「陛下には道徳的な権威がある」とテンプル大学東京校のジェフ・キングストン教授は話す。「陛下はその権威を自ら獲得した。最高慰問者(consoler in chief)だ。陛下は父親(昭和天皇)には決してできなかった方法で民衆と関係を築いている」。

「陛下の避難所訪問は、政治家が写真撮影のために訪問して手を振って立ち去るのとは違う。人々の隣に座り、一緒にお茶を飲み、戦前には考えられなかった風に会話をする」

画像父親の罪-The sins of the father

天皇陛下は革命家には見えない。背は低く、控えめで語り口は柔和だ。発言と行動は戦後の憲法によって厳しく制限されている。イギリスのエリザベス女王と違い、陛下は日本の国家元首ではない。

その代わり、陛下の役割は「国民統合の象徴」とあいまいに定義されている。政治的な発言は認められていない。

こうした儀礼的で窮屈な役割の中でも、陛下は見事な成果を上げてきた。

まず思い出すべきは、陛下は日本がアジアで暴挙を繰り広げた1930-40年代の約15年間に日本を治めた、神格化された昭和天皇の息子だということだ。広島と長崎に原爆が投下され終戦を迎えた時、陛下は12歳だった。

教育を受けていた時期のどこかで、陛下は強固な平和主義者となり、それは現在も続いている。このことについては、アメリカ人家庭教師のエリザベス・グレイ・ヴァイニング氏の影響を指摘する人もいる。天皇陛下は昨年12月には「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べた。平成の間に1人の自衛隊員も、戦争や武力紛争で犠牲にならなかったことに、何より満足しているという。

陛下は日本のかつての敵や被害者とも心を通わせる努力をしてきた。北京、ジャカルタ、マニラからスペインまで、昭和天皇の下で生じた傷を癒すために尽力した。

「陛下は、日本の和解のための最高の特使という、天皇の新たな役割をつくり出し、地域内を何度も訪問し、償いと悔恨の意を示してきた。基本的に、過去の戦争の傷を癒そうとしてきた」とキングストン教授は指摘する。

1990年代には、それはあまり議論にはならなかった。国内の政治家は陛下を支え、1992年には歴史的な中国訪問を実現させた。だが、陛下が年齢を重ねるにつれ、日本の政治は急激に右傾化した。

かつての「謝罪外交」は、平和主義とともに支持されなくなった。安倍晋三首相は、日本の平和憲法を改めると宣言している。安倍氏や右派の人々は愛国的な教育を復活させ、彼らの言う戦後の「自虐史観」を消し去りたいと考えている。

目立たないように、しかし強い意志をもって、陛下は繰り返し歴史修正主義者たちに対する軽蔑心を表してきた。2015年、戦後70年の節目で、安倍氏は談話を発表した。

「安倍氏は基本的に、日本がいま享受している平和と繁栄は、300万人の戦死者のおかげだと述べた」とキングストン教授は言う。

「翌日、陛下はそれを否定した。陛下は日本がいま享受している繁栄は、国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識によるものだと、お言葉で述べた」

テレビ中継を見ていた何百万人もの日本人にとって、それは疑いようのない批判だった。

東京で開かれた園遊会では、右派の東京都の教育委員会委員が、国歌を斉唱するときには全教員を起立させると陛下に誇らしげに伝えた。

陛下は静かに、だがきっぱりとこう言って、その委員を諭した。

強制になるということではないことが望ましい

画像長い別れ-The long farewell

在位期間を通し、陛下は最も大切な伴侶で助言者の美智子皇后と一心同体だった。一般家庭の出身の皇后陛下にとって、時に宮中での暮らしは極めて大変だった。1993年には、皇后陛下は精神的疲労から倒れ、2カ月間、言葉が出なくなった。

皇后陛下は最近、天皇陛下の決意に対する畏敬の念を文章で表している。

「振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました」

しかし、ここしばらく、天皇陛下の健康状態は衰えつつある。がんを患い、心臓のバイパス手術も受けた。陛下に近い人は、陛下が健康悪化によって動けなくなり、公務を果たせなくなることを一段と心配していたと述べる。

2009年ごろから、陛下は皇太子さまへの皇位継承が認められるよう静かに世論に訴え始めた。これは決して簡単なことではない。

戦後制定された憲法では、天皇は「終身」その地位にあると明確にしている。そのため、政治家たちは陛下の願いを無視してきたと、原武史放送大学教授は説明する。

「9年間にわたって、政府は陛下のお気持ちにまったく同調しなかった。退位したいという陛下の希望を受け入れたら、天皇が重要な決定権限をもつことになってしまい、それは憲法違反だと考えたからだ」

これは、まさに日本独特の難問だ。原教授によると、焦燥感を募らせた陛下と宮内庁は、ある計画を編み出した。

「陛下と宮内庁はどんどん我慢できなくなっていった。そこで、宮内庁の職員がNHKに情報を流し、NHKが陛下の希望を報じた」

NHKにとってそれは大スクープとなり、こう着していた局面が打開された。1カ月後、陛下は再びテレビ放送されたビデオメッセージを通して国民に直接語りかけ、退位して皇位を皇太子さまに引き継ぎたい意向を示唆した。

世論調査の結果は、大多数の日本国民が陛下の意向を支持していることを示した。安倍首相と保守層は従うしかなかった。それから2年の年月を要したが、陛下はついに退位の日を迎えた。

5月1日、皇太子さまが新天皇に即位し、時代は「令和」に変わる。

-ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ、東京特派員

画像かなりこじつけだとは思うけど、バイバイ平成の後、次月号が出るギリギリのタイミングで買って読んでるMUSIC MAGAZINE 創刊50周年記念ランキング『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』はMUSIC MAGAZINEという人格(Persona)かな?
それで、50人の選者の1位から50位までのリストが個性(Identity)なら、ロックバーへのリクエストは仕事ではないので、ちょっと全部取り上げようかな?
これまでのロックバーのイベントの後先と同じように。

59枚目/96枚(126枚)は1985年。
この前の日記にコメントを転載した廿楽(つづら)玲子さんが第48位に選んでたREBECCA/『REBECCA Ⅳ~Maybe Tommorrow~』(1985)。
これまで96枚(126枚)に選んだアルバムだと荒井由実/『ひこうき雲』(1973)が第3位で、選んだアルバムは違うけど佐野元春RCサクセションも50枚に選んでる。
あ、RCサクセションじゃなくて、ザ・タイマーズか・・・でも、僕もきっと『THE TIMERS』(1988)は選ぶかな?

リクエストは、

フレンズ/『REBECCA Ⅳ~Maybe Tommorrow~』(1985)REBECCA

もう1曲、『バイバイ平成』でKJRくんが投票した、

Super Girl/『BLOND SAURUS』(1989)-REBECCA

あ、もう1曲、ボーカルがすごくいいやつ。シングル/EPなんでリミックスで、

Raspberry Dream/『REMIX REBECCA』-REBECCA

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3245,3246,3247)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3259,3260,3261)

荒井由実/Phew/吉田美奈子/大貫妙子/戸川純

画像4月5日金曜日、ロックバーのイベント、バイバイ平成から二週間、最近では珍しくひと月に3回目のupset the apple-cart。
4月3日水曜日の投票、4月5日金曜日のイベント当日、その2週間後の4月19日金曜日は、テーブル席も、カウンターの中も、全部男性ばかりの満席+補助椅子。
トイレに行ったらフタは上がりっぱなしだった。

僕はカウンター席で右隣はバイバイ平成はサッカー観戦で来なかった同い年のOkeraさん(男性。投票は3曲とも洋楽だった)。
空いていた左隣にやって来たのはYYさん(男性。投票は3曲とも日本のロックだった)。
テーブル席はKJRくん(男性。投票は3曲とも平成元年の曲だった)の4人グループ(男性4人)。

投票のあった20人×3曲+1人×2曲=62曲は、Thee Michelle Gun Elephant(ミッシェル・ガン・エレファント)(だいたい僕と同い年の男性4人)とUNICORN(ユニコーン)(だいたい僕と同い年の男性5人)が2曲ずつあったけど、1曲もかぶらなかった。

画像よく知らなかった曲を除いて日本のロックの投票洋楽の投票を掲載したので、残りの知らなかった曲を。
リスト順で。
発表した年を、和暦で補足して。
敬称略で。

蛇足かも知れないけど、僕が知らなかったミュージシャン、バンドの解説も少し。
洋楽はWikipedia(English)、日本のロックはWikipedia(日本語)なんかから。

【O-MRI】
Last Two Dollars/『Good Love!』(1996)(平成7年)-Johnnie Taylor

1969年"Who's Making Love"で、1977年"Disco Lady"でグラミー賞男性R&Bボーカル部門に、2001年『Gotta Get the Groove Back』で古典的R&Bアルバム部門にノミネートされたアメリカのレコーディング・アーティスト、ソングライター。
”Last Two Dollars"(最後の2ドルっていうのはブルースっぽいタイトルだな。ギャンブルの歌かな?)はMalaco Recordsでの8枚目のアルバム『Good Love!』からのシングル・ヒット。
このアルバムはビルボード・チャートのブルース・アルバムで第一位(R&Bチャート15位)と、Malaco Records最大のヒットとなった。

画像Where Do U Want Me To Put It/『Solo』(1996)(平成7年)-Solo

アメリカの男性4人のR&B(POP、SOUL、FUNK、HIP-HOPを含むContemporary R&B)グループのデビューアルバムに収録された曲。
アルバムには4曲のサム・クックのカバー、ドリフターズの”Under The Boardwalk”のカバーも。

Hip Hop Hooray/『19 Naughty III』(1993)(平成4年)-Naughty By Nature

アメリカの男性ヒップ・ホップ・トリオの大ヒットアルバムの最初のシングル。週間R&Bチャート第一位、総合チャートで第8位。
リストを見ても気が付かなかったけど、えーい、おー♪えーい、おー♪えーい、おー♪は知ってた。


画像【H-SKR】
休まない翼/『桜』(1993)(平成4年)-ZABADAK(ザバダック)

吉良知彦(きら ともひこ、1959 - 2016)がケイト・ブッシュの『DREAMING』にインスピレーションを受けて自主製作盤をつくったのが始まりで、吉良知彦・上野洋子・松田克志の3人で結成。
ソロユニットとなった後、小峰公子とのデュオ・ユニットに。
難波弘之がサポート・メンバーだったとかでプログレのイメージもあるんだけど、音が優しい、女声プログレっていうか・・・。

Upstream/ 『ツンドラ(Tundra)』(2011)(平成23年)-是巨人(Korekyojinn)

吉田達也、鬼怒無月、ナスノミツルの、プログレ・トリオ。

画像【Uni】
Sueeze/『Unclassified』(2003)(平成15年)-Robert Randolph and the Family Band

ペダル・スティール・ギタリストのファンク/ソウル・バンド、と言ってもよく分からないけど、聴けば確かに。
プログレって言った方が分かりやすいのかな?

*****

まだパラパラとしか読めていないんだけど、もう次の号がでちゃうっていうんで、慌てて買ってきたMUSIC MAGAZINE 2019年4月号
『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』は50人×50枚=2500枚の投票で、選挙とは違って順位で得点が違う選好投票、upsetでもよくやるボルタ式得点法

もちろんダブり、トリプり(こんな言い方しないか・・)、クアドプり(こんな言い方しないね)、クインタプり(こんな言い方・・・)もあって、1184枚。

画像姉妹誌のベスト・ギタリストの選者が全員男性というのは極端にしても、他誌と比べるとやっぱり男性の選者が多いんだけど、僕の日本のロック96枚(126枚)もここまで、男性/男声のミュージシャン、バンドが多いので、年代を遡って女性/女声のミュージシャン、バンドを選んじゃおう。

どうせなら、『特集 50年の邦楽アルバム・ベスト100』の選者50人のうち女性が選んだのからにしようかな?

暫定の追加は、1984年にテレビで知ったローザ・ルクセンブルグは1987年のベスト盤っぽいライブ盤を選んじゃったんだけど、昭和/平成よりは区切りって感じがする、1984年、昭和59年、高校3年生(1985年の1月~3月も高校三年生なんだけど、年で区切るとしたら)以前ので。

女性の選者は、こんな人たち(敬称略)。
それぞれの選評、結果の感想を無断転載。
ご容赦。

画像今井智子
100枚のリストを見てもなお、あれもこれもあったと思うが、いい作品が並ぶ本誌らしい選出。埋もれた旧譜も生まれたばかりの新作も同時に聴くことが出来る時代だから、多岐に渡る選出も客観的にできる。そんなことも感じる100枚だ。新しい音楽が生まれていることを伝えたくて『ミューミュージックマガジン』は創刊された。50年前、中村とうようさんはどんな未来を想像していたのだろう。

岡村詩野
影響とかの可視化されない部分も含めて細野晴臣さん(およびティンパン周辺)の圧倒的な存在感を伝える100枚。もう脱帽です。その細野さんだって素晴らしい新作を出したし、時代は刻一刻と動いている。だからもっと今を聴こう。といっても最先端だけ追えって意味じゃない。今と向き合うことが過去や未来を知ることになると思うから、もちろん、過去を聴くことは今や未来を聴くことにもなる。

画像【かこいゆみこ】※栫(かこい)という字だと思う。
小学生の頃、ラジオから流れてきたジャックスが日本語ロックの原体験。そんな私にとって、50年という長いタームでベスト・アルバムを選ぶのは悩ましくも楽しい作業でした。聴き直すたびに新しい発見があるのが名盤の凄味。歴史的名作を選んだつもりが、個人的にどうしても落としたくない作品も多く、結果やや偏ったチョイスに。当方のミスで冨田勲をリストから外してしまったのが痛恨の極みです。

【廿楽玲子】※廿楽(つづら)と読むのだと思う。
リアルタイムで体感した90年代より前の作品は、後続の世代に影響を与えたと実感したものを選びました。表現の自己更新に挑み続けるアーティストは、初期代表作か近年作か迷って、くるりサニーデイ・サービスは票がバラけちゃうんだろうな・・・と歯がゆい思いをしながら最近のものを多めに選出。アルバムという単位のどの世代まで通用するのか、サブスクで好きな曲だけ聴きまくる7歳の子どもの横で考えます。

画像暫定の54枚目、55枚目、56枚目、57枚目、58枚目/96枚(126枚)は、ちょっと遡って。

1973年、1976年、1979年、1982年、1984年に発売になったアルバムから、リクエストはだいぶ前に聴いた曲、少し前に聴いた曲。

ひこうき雲/『ひこうき雲』(1973)-荒井由実

夢で遭えたら/『FLAPPER』(1976)-吉田美奈子

醒めた火事場で/『Aunt Sally』(1979)-アーント・サリー

黒のクレール/『Cliché〔クリシェ〕』(1982)-大貫妙子

蛹化の女/『玉姫様』(1984)-戸川純

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3240,3241,3242,3243,3244)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3254,3255,3256,3257,3258)

ハイサイおじさん(1977)/関西ヘヴィメタル(1984)

画像4月5日金曜日、ロックバーのイベント、バイバイ平成に行ってきた。
21人、ひとり3曲、1曲もかぶらなかったので63曲。いや、SNOさんは2曲しかリクエストしなかったので、21×3-1=62曲。

僕は、投票期限の4月3日水曜日の投票だったけど、誰も選んでないだろうなって曲にした。
みんなそう思ったのか、そもそもそんなもんなのか、21人の投票は1曲もかぶらなかった。

僕が選んだ3曲は、日本のロックで、生きてるミュージシャン、バンド再結成はありで、ほぼ同い年
紅白歌合戦で歌った曲にしようかなって思ったんだけど、リストになかったのであきらめた

ちょっと知らなかった曲を除いて日本のロックの投票を掲載したので、洋楽を。こちらもよく知らない曲は今度。
リスト順で。
発表した年を、和暦で補足して。
敬称略で。


画像【石楠花】
All I Want For Christmas Is You(平成5年)/Mariah Carey
Virtual Insanity(平成7年)/Jamiroquai
I’ll Make Love To You(平成5年)/ Boyz II Men

【MYST】
Hate It Here(平成19年)/Wilco

【SNO】
Wake Me Up When September Ends(平成15年)/Green Day
Walk Away (平成17年)/Franz Ferdinand

【Go-To】
Batdance(平成元年)/Prince
Supersonic(平成6年)/Oasis

【F-SKR】
The Beate(en) Generation(平成元年)/The The

画像【Okera】
Smells Like Teen Spirit(平成3年)/Nirvana
I Am The Resurrection(平成元年)/Stone Roses
Loser(平成6年)/Beck

【Hiko】
Are You Gonna Go My Way(平成5年)/Lenny Kravitz

【ASK】
Real Slim Shady(平成12年)/Eminem

【Yome】
Rocks(平成6年)/Primal Scream

【Prof.-Y】
Hungry Days(平成6年)/Impellitteri

【Uni】
Sueeze(平成15年)/Robert Randolph&His Friends
I Wish I Knew(平成16年)/Derek Truck
Shock & Awe(平成18年)/Neil Young

画像【Tai】
Never Get Old(平成15年)/David Bowie
Dreams(平成5年)/Cranberries

1982年から1984年の高校生の時は、それまでは、学校の教科書に載っていたり、夏休みの読書感想文の宿題で読んだり以外は全く読まなかった小説も、ほとんど友達に薦められたり借りたものばかりだけど、ちょっとは読むようになった。
村上春樹村上龍開高健高橋三千綱片岡義男・・・

ロック雑誌は『ミュージック・マガジン』や『ロッキン・オン』を、・・・でもせいぜいどちらも1冊か2冊持ってるだけだったかな?
それから、ビートルズやジョン・レノンの特集をやったやつ。
三宮(さんのみや)の大きな輸入レコード店、Mr.Jacket(ミスター・ジャケット)や、高架下の雑貨屋に『Rolling Stone』が置いてあって、これも1冊か2冊。
今でも一番好きなロック評論の、片岡義男:『ぼくはプレスリーが大好き』も文庫本で高校を卒業してからもよく読んでいた。

画像小説はともかくとして、評論・論文は、家にあった岩波新書や新聞の社説以外は、教科書や参考書や試験問題でしか読まなかったけど、レイバンのサングラスをかけたハードボイルドな感じの国語の教師が解説する小林秀雄なんかも面白かった。

国語は相変わらず苦手だったけど、嫌いだったのは漢字ドリルや、太宰治や三島由紀夫の小説や、枕草子の最初の一節の現代語訳を「春は夜明け。」としたら意味が通らないと減点されたってことかも知れないな。(これは今でも僕の訳の方が正しいと思っているし、『枕草子』の文学的価値の半分くらいは「春はあけぼの」と体言止めにした書き出しだと思っている)

村上春樹の『騎士団長殺し』は一回読んだけど(いつものようにこれから何年かに渡って何度か読むと思う)、これ以上写すとストーリーが分かってしまいそうなのでやめて、1984年(昭和59年)の雑誌のジョン・レノン特集号のインタビューにとても共感した北野武(当時はビートたけし)の「お祝いの言葉」を全文転載。

画像「お祝いの言葉。天皇皇后両陛下におかれましては、御即位から30年の長きにわたり、国民の安寧と幸せ、世界の平和を祈り、国民に寄り添っていただき、深く感謝いたします」

「私はちょうど60年前の今日、当時12歳だったその日、母に連れられて日の丸の旗を持ち、大勢の群衆の中にいました。波立つように遠くの方から歓声が聞こえ、旗が振られ、おふたりが乗った馬車が近づいてくるのが分かりました。母は私の頭を押さえ、『頭を下げろ! 決して上げるんじゃない』と、ポコポコ殴りながら『ばちが当たるぞ』と言いました。私は母の言うとおり、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。そうしないと、ばちが当たって、急におじいさんになっていたり、石になってしまうのではないかと思ったからです。そういうわけで、お姿を拝見することはかないませんでしたが、おふたりが目の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました」

画像「私が初めて両陛下のお姿と接したのは、平成28年のお茶会の時でした。なぜか呼ばれた私に、両陛下は『交通事故の体の具合はどうですか』『あなたの監督した映画を見ています』『どうかお体を気をつけてください』『頑張ってください』と声を掛けていただきました。この時、両陛下が私の映画のことや体のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました」

「ただ、今、考えてみれば、天皇陛下がご覧になった映画が、不届き者を2人も出した『アウトレイジ3』ではないということを祈るばかりです。また、おみやげでいただいた銀のケースに入っているコンペイトーは、わが家の家宝になっており、訪ねてきた友人に、1粒800円で売っております」

「5月からは、元号が『令和』に変わります。私がかつて居た『オフィス北野』も、新社長につまみ枝豆を迎え、社名を変えて『令和』に対して『オフィス冷遇』にして、タレントには厳しく当たり、変な情をかけないことと決めました」

画像「私は、自分が司会を務めた番組で、私たちがニュースなどで目にする公務以外にも陛下が、1月1日の四方拝を始め、毎日のように国民のために儀式で祈りをささげ、多忙な毎日を過ごされていることは、知ってました。皇后陛下におかれましては『皇室は祈りでありたい』とおっしゃいました。お言葉の通り、両陛下は私たちのために、日々祈り、寄り添ってくださっていました。私は、感激するとともに、感謝の気持ちでいっぱいです」

「平成は平和の時代であった一方、災害が次々と日本を襲った時代でもあります。そのたびに、ニュースでは、天皇、皇后の両陛下が被災地を訪問され、被災者に寄り添う姿が映し出されました。平成28年8月、陛下は次のように述べておられます。『私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず、国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました』。国民の近くにいらっしゃり、祈る存在であること、そのお姿に私たちはひかれ、勇気と感動をいただきました。あらためて、平成という時代に感謝いたします。また、ずっと国民に寄り添っていただける天皇、皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に、生を受けたことを、幸せに思います。ありがとうございました」
(北野武)

画像暫定の52枚目/96枚(126枚)は、ちょっと遡って。
中学生の時にY.M.O.から遡ってホソノさん、キョージュ、ユキヒロのソロやはっぴいえんどサディスティック・ミカ・バンドなんかをレンタルレコードで借りてカセットテープに録音して聴いていたんだけど、『Solid State Surviver』では”Technopolis”と”Rydeen”に挟まれた”Absolute Ego Dance”が好きだったからかな(「はいや、はっはっの曲」は、昭和五十・・何年かに今野雄二午後11時って言う番組でBGMに使っていた)?一番好きだったのはホソノさんのソロで、大いに影響を受けたっていう、沖縄の音楽。

リクエストは、

ハイサイおじさん/『喜納昌吉&チャンプルーズ』(1977)-喜納昌吉&チャンプルーズ

「香りと音楽は記憶を蘇らせてくれる」と細野晴臣に語ったという久保田麻琴(と夕焼け団)とか、
「チャイニーズ・エレガンスっていいですね」と言ってエキゾティック・サウンドを聴かせたっていうS-KENとか、
挙げだすときりがないし、沖縄も強く意識したのは高校生の時なんだけど、高校時代といえばジャパメタかな?

暫定の53枚目/96枚(126枚)は、オムニバス盤

僕はHR/HM善し悪しが良く分からないので、リクエストは、それぞれ最初に入った1曲ずつ。

Impact(Marino)/Rock Tonight(Sexual)/Angel(Rajas)/Rock 'n Roll Paradise(Hurry Scuary)/『BATTLE OF METAL』(1984)

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3235,3236,3237,3238,3239)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3249,3250,3251,3252,3253)

ぷりぷり/LOSA LUXEMBURG Ⅱ(1986)/Live August(1987)

画像4月5日金曜日、ロックバーのイベント、バイバイ平成に行ってきた。
21人、ひとり3曲、1曲もかぶらなかったので63曲。いや、SNOさんは2曲しかリクエストしなかったので、21×3-1=62曲。

僕は、投票期限の4月3日水曜日の投票だったけど、誰も選んでないだろうなって曲にした。
みんなそう思ったのか、そもそもそんなもんなのか、21人の投票は1曲もかぶらなかった。

僕が選んだ3曲は、日本のロックで、生きてるミュージシャン、バンド再結成はありで、ほぼ同い年
紅白歌合戦で歌った曲にしようかなって思ったんだけど、リストになかったのであきらめた

一つ前の職場の同僚20人ほどで水道橋(すいどうばし)で飲んで食べての後の参加で、半ばを過ぎてからだったけど、曲の長い順だったので、28曲は twitter で実況中継。
途中、”休憩でLayla”が流れて(もちろん、ロング・バージョン)、リストが配られてから最初に戻って長い曲がかかった。

画像洋楽もけっこう投票があったのだけど、まずは、日本のロックから。ちょっと知らなかった曲は今度にして。
リスト順で。
発表した年を補足して。
敬称略で。

【H=M】
ずっと好きだった(平成22年)/斉藤和義
トゥルー・ロマンス(平成8年)/筋肉少女帯
Heart Beat(平成10年)/Kemuri

【MYST】
さすらい(平成10年)奥田民生
タイムマシンにおねがい(平成18年)/サディスティック・ミカ・バンド(Vo.木村カエラ)

【G-W】
恋するマリールー(平成4年)すかんち(SCANCH)
バードメン(平成9年)/Thee Michelle Gun Elephant(ミッシェル・ガン・エレファント)
まるいとんがり(平成26年)/SUNDAYS

画像【KJR】
デーゲーム(平成元年)/UNICORN(ユニコーン)
BE MY BABY(平成元年)/COMPLEX(コンプレックス
Super Girl(平成元年)/REBECCA(レベッカ)

【Go-To】
N.O.(平成6年)/電気グルーヴ

【Gami】
D.I.J.のピストル(平成5年)Blankey Jet City(ブランキー・ジェット・シティ)
ゲット・アップ・ルーシー (平成9年)/Thee Michelle Gun Elephant(ミッシェル・ガン・エレファント)
君という花(平成15年)/Asian Kung-Fu Generation(アジアン・カンフー・ジェネレイション)

【Yome】
アジアの純真(平成8年)/PUFFY(パフィー)
LOVEマシーン(平成11年)/モーニング娘。

画像【Prof.-Y】
息もできない(平成10年)/ZARD(ザード)
CRYIN' HEART(平成12年)/ANTHEM(アンセム

【H-SKR】
前を向いて(平成22年)/Acko(あっこ)

【Tai】
キャノンボール(平成14年)/中村一義

【G】
すばらしい日々(平成5年/平成18年)/UNICORN(ユニコーン)
トーキョーシティーヒエラルキー/山口洋(Bank Band)
満月の夕(平成7年)/ヒートウェイヴ(HEATWAVE)/Soul Flower Union(ソウル・フラワー・ユニオン)

【F-SKR】
MIKKY-D(平成3年)/近田春夫とビブラトーンズ
Batucade(平成6年)/Towa Tei(テイ・トウワ)

画像【Hiko】
Automatic(平成10年)/宇多田ヒカル
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ(平成17年)サンボマスター

【ASK】
Omoide in my head(平成8年)/ナンバーガール(NUMBER GIRL)
生活(平成13年)/Syrup 16g(シロップ16グラム)

【C】
BOY MEETS GIRL(ボーイ・ミーツ・ガール)(平成6年)/TRF
援助交際(平成17年)/銀杏BOYZ(銀杏ボーイズ)
ムーンライト伝説(平成4年)/DALI(ダリ)

【YY】
Swallowtail Butterfly~あいのうた(平成8年)/YEN TOWN BAND(イェン・タウン・バンド)
いい言葉ちょうだい(平成4年)/フィッシュマンズ(Fishmans)
ロックンロールは鳴り止まないっ(平成22年)/神聖かまってちゃん

画像ほとんどが文庫本になってからだけど、高校生の時に中学までの同級生のFが「おまえならよく分かるんちゃうか」と貸してくれたデビュー作の『風の歌を聴け』から、大体読んでいる村上春樹の『騎士団長殺し』の3月1日に発売になった1,2、4月1日に発売になった3,4を買ってきて読んでいる。
まだ文庫本は発売になったばかりで読んでない人も大勢いると思うので、ストーリーが分からないように、ちょっと抜粋で転載。

(略)
私は記憶の底を探って、美術史の講義の内容を思い出した。「十九世紀後半に明治維新があり、そのときに他の様々な西洋文化と共に、西洋絵画が日本にどっと入ってきたわけですが、それまでは『日本画』というジャンルは事実上存在しませんでした。というか『日本画』という呼称さえ存在しませんでした。『日本』という国の名前がほとんど使われなかったのと同じようにです。外来の洋画が登場して、それに対抗するべきものとして、それと区別するべきものとして、そこに初めて『日本画』という概念が生まれたわけです。それまであった様々な絵画スタイルが、『日本画』という新しい名のもとに便宜的に、意図的に一括(ひとくく)りにされたわけです。(略)」
(略)

画像「(略)音楽や文学や思想の世界でも、それとだいたい似たような作業が行われました。当時の日本人はずいぶん忙しかったと思いますよ。短期間にやってのけなくてはならない大事な作業が山積みしていたわけですから。でも今から見ると、我々はかなり器用に巧妙にそれをやってのけたようです。西欧的な部分と非西欧的な部分の、融合と棲み分けがおおむね円滑に行われました。日本人というのはそのような作業にもともと向いていたのかもしれません。(略)」
(略)

(村上春樹著 『騎士団長殺し』第1部 踊れるイデア編(上)より)

暫定の51枚目は、僕が一番好きな日本のバンドローザ・ルクセンブルグ

2枚のオリジナル・フルアルバム、『ぷりぷり』(1986)も、『ROSA LUXEMBURG II』(1986)も、どちらも候補なんだけど、2枚組の解散コンサートのライブ盤を。

リクエストは全曲って言いたいところだけど、1984年にNHKのコンテスト『YOUNG MUSIC FESTIVAL』(審査員は細野晴臣矢野顕子伊藤銀次渋谷陽一、波田野紘一郎。ゲストはEPO)で金賞をとった、

在中国的少年/『LIVE AUGUST』(1987)-ローザ・ルクセンブルグ

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3234)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3248)

僕が僕であるために/そして僕は途方に暮れる/TONIGHT/恋したっていいじゃない

画像2019年春のイベント 4月5日(金) バイバイ平成の投票締め切り、4月3日(水)まであと3日なんだけど、まだ投票できていない。
内田裕也さんに続いて、ショーケンが亡くなった。
ロックバーではショーケンはなんとなく「愚か者」を聴いたような記憶があるんだけど(沢田研二の「ヴァニティ・ファクトリー」に誰かがかぶせたのだったかな?リクエストがグループサウンズ特集みたいになった時だったかな?)、勘違いか思い込みかも知れないな。

平成に産み落とされた曲ってことで、平成(へいせい)というのは和歴(われき)だから、平成に発売になった日本のロックにしようと思ってるんだけど、ミュージシャンが文字通りの意味で生み出された(生まれた)のも平成ってことになると、平成の30年のうち終わりの10年くらいになる。
平成にミュージシャンになった、バンドが結成されたっていうのを生み出されたってことにしても、最初の10年くらいは除かなきゃいけなくなる。

画像平成は、1989年、僕が4月に就職した年の1月から元年として始まっているので、最初の10年を除いてしまったり、平成生まれのミュージシャンっていうのは、おかしいな。

平成はだいたい30年だから、10年間から1曲ずつにしようか。

ブログ紹介や、プロフィール:Profileに書いている通り、僕は1966年に生まれて、1989年、平成元年に就職して、普通のサラリーマンをやっているんだけど、名刺(めいし)に書かれた自分の名前は1つで、会社名は8つ。
同じ会社名で違う部署(会社という組織には往々にして部とか課とかいう組織・部署がある)を入れると、ちょっと両手では数えきれないし、両足を使うにしても足の指は数を数えるのにあまり適していない。

個人の資質や能力の問題かもしれないけど、足の指は上手く指折(ゆびお)れないのだ

画像会社名は8つだけど、いわゆる退職(たいしょく)というのはこの前初めて。
明日からも特に生活日記や、聴くロックやロックバーへのロックのリクエストが変わるわけでもなく、健康保険証が変わるっていうくらいかな?

でも、ちょうど、殆ど平成の間中、会社名は8つだけど、所属としては1つのところに居たわけだから、だいたい同じころにプロのミュージシャンになった、だいたい同い年の日本のミュージシャン、バンドで選ぼうかな?

ハル・ブレインが亡くなった時同じように、ちょっと昔の日記を。

日記に書いたのは2007年、平成19年以降だから、リクエストしたのは平成最後の10年ほどってことだけど、発売されたのは平成、20歳を過ぎて、成人になってから。

画像大体同い年
いっこか二コ年上だったリ、年下だったりも含めた、日本のミュージシャン、バンド。
大体日記に書いた/ロックバーにリクエストした順番で。
アルバムはリクエストして曲はリクエストしてないのも。

あ、初めの頃は、日本のロックはリクエストしてないから、2012年、平成24年以降かな?

IN MY LIFE(1990)/高野寛-2012年(平成24年)6月10日
THE FOOL ON THE HILL(1990)桐島かれん-2012年(平成24年)6月10日

小さな恋のメロディ/『キラキラと輝くもの』(1996)筋肉少女帯-2012年(平成24年)7月3日
日なたの窓に憧れて/『惑星のかけら』(1991)/スピッツ-2012年(平成24年)8月5日

画像WAO!/『シャンブル』(2009)/ユニコーン-2012年(平成24年)8月6日
The Smell Of Gasoline/『FUJI ROCK FESTIVAL'98』(1998)ブランキー・ジェット・シティ-2012年(平成24年)8月7日
Yesterday Once More/『1998-2004』(2013)ゆらゆら帝国-2012年(平成24年)8月8日

JAM/『SO ALIVE』(1999)/THE YELLOW MONKEY
男は行く/『生活』(1990)/エレファント・カシマシ-2012年(平成24年)8月22日
Summer Festival(1990/2004)/ジッタリン・ジン-2012年(平成24年)9月15日

杓子定規(歌のタイトルは定木。僕は定期なんて間違えて書くことがあるけど・・・)/『クロスブリード・パーク 』(1990)/ニューエスト・モデル-2012年(平成24年)11月5日
世界の終わり/『Cult Grass Stars』(1996)/ミッシェルガン・エレファント-2012年(平成24年)12月7日

画像Girl/『残骸』(2003)/Buck-Tick-2012年(平成24年)12月8日
島唄/『思春期』(1992)/The Boom-2012年(平成24年)12月9日

やさしくなりたい(2011)/僕の見たビートルズはTVの中(1993)/斉藤和義(1993)-2012年(平成24年)12月11日,12日
Heart Beat/『77 days』(1998)/Kemuri-2012年(平成24年)12月22日

日が暮れても彼女と歩いてた(1993)/バカになったのに(1989)/The ピーズ-2013年(平成25年)2月23日
不惑/『『DAI KO KAI』(2007)-TOMOVSKY-2013年(平成25年)2月24日

BABY BLUE/『空中キャンプ』(1996)/Fishmans:フィッシュマンズ2013年(平成25年)2月27日
カルアミルク/『家庭教師』(1990)/岡村 靖幸-2013年(平成25年)3月5日
愛し愛されて生きるのさ/『LIFE』(1994)/小沢 健二-2013年(平成25年)3月9日

ほぼ同い年の小泉今日子本田美奈子も候補かな?

平成にミュージカルを見た本田美奈子は候補で、平成になる前に死んだ岡田有希子は候補じゃないっていうのはおかしいな。

画像もうしばらく暫定の49枚目/96枚(126枚)は尾崎豊
リクエストは、

僕が僕であるために(MY SONG)/『17歳の地図』(1983)-尾崎豊

尾崎豊は1学年上で、いっこ下の僕が高校三年生の時のデビューだけど、姉が友達から録音してもらったカセットテープで聴いたのは大学に入ってから。

見に行かなかった片岡義男の小説が原作の映画の主題歌や、出たばかりの曲も同じころ聴いていたと思うので、リクエスト。

スローなブギにしてくれ(1981)-南佳孝

そして僕は途方に暮れる(1984)大沢誉志幸

暫定の50枚目/96枚(126枚)は、2枚目の佐野元春
リクエストは、

TONIGHT/『VISITORS』(1984)佐野元春

女声がないので、EPOの高校の先輩、清水信之が編曲、岡村靖幸がバックコーラスの、

恋したっていいじゃない(1988)-渡辺美里

あ、人間椅子をリクエストした日記は削除されちゃってました。
でも、覚えている限り2回かかった。
L'Arc~en~Cielラルク アン シエル)は、・・・リクエストしてないな。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3229,3230,3231,3232,3233)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3243,3244,3245,3246,3247)

Flower Travellin' Band/四人囃子/大阪/高円寺

画像2019年春のイベント 4月5日(金) バイバイ平成の開催告知があってから、3週間。

ドラマーのハル・ブレインHal Blaine が亡くなったので、Wikipedia (English) に掲載された”List of recordings of songs Hal Blaine played on”を見ながら、ハル・ブレインが参加した曲をリクエストした日記を読んでいた。

リクエストしたのはカバーや別バージョンでハル・ブレインが演奏してないっていうのもありで。
その曲はリクエストしてないんだけど、アルバムをリクエストしたのも。
他の誰かがリクエストしたのも。
厳密にはそのアルバムに入ってないのも。

そうしているうちに、内田裕也さんが亡くなった。
内田裕也リアル(現実に)もバーチャル(実質的に)でもロックバーへ1曲もリクエストしたことはないんだけど、けっこう日記に書いていた

画像最後に見たのは『万引き家族』だった樹木希林さんのことは日記に書いていなくて、内田裕也と樹木希林のどっちがロックかって訊かれると上手く応えられないのだけど、企画したり、プロデュースしたやつとかをリクエストしようかな?

日本のロック96枚(126枚)は、ちょうど高校時代なんだけど、この頃の紅白歌合戦の裏番組は、お笑いか、内田裕也のロックフェスティバルだったかな?
内田裕也のロックフェスティバルは中学校の頃からだったかな?

ネットで検索してみたら、テレビに出たかどうかは分からなかったけど、日本のロック96枚(126枚)に選んだミュージシャン、バンド、選ばなかったけど一緒にリクエストしたミュージシャン、バンドはけっこう出演していた。

1976年から大体年代順に。

画像加藤和彦サディスティックミカバンドかまやつひろし

ゴールデン・カップスミッキー吉野デイブ平尾

ダウンタウンブギウギバンドCHAR GROUP

かまやつひろし & FLAT OUT FAMILY、シーナ&ロケッツジョー山中&フレンズ

ヒカシューRCサクセション

P-MODEL萩原健一

ルースターズ子供ばんど沢田研二

沢田研二&EXOTICSBOW WOW

ジョー山中&レゲエヴァイブレーション、THE ROKKETS

山口富士夫暗黒大陸じゃがたら・・・・ここまで1984年だけど、この後もたくさん出てきそうだな。

あ、外道なんかは平成になってからのようだ。

****

画像投票期日までもう1週間しかないロックバーのイベントへのリクエストは、平成に産み落とされた曲ってことだから、平成に発表された日本のロックにしようと思ってるんだけど、30年になる僕の社会人生活丸々なので、ハル・ブレインが参加したレコードの数ほどではないけど、候補曲がいっぱいある。

内田裕也の関連でも選べそうかな?
内田裕也のロック・フェスティバルは、平成になってもずっと続いているんだけど、平成っていうよりは昭和かな?

いや、
THE100sも、the ピーズも、平成デビューだし、
どんとも、つんくも、フェスティバルは平成。

外国のミュージシャン、バンドだと、ソウルで演ったのでは、Hedwig & Angry Inch Band
ニューヨークでは、L.A GUNS、DAVID JOHANSEN (New York Dolls)、MARKEY RAMONE (ex RAMONES)が出演してたりもする。
ロサンジェルスで、Lemmy Kilmister (Motorheaed)とか、Dizzy Reed (Guns N’ Roses)とかも。

Hedwig & Angry Inch Band以外は、日本で言えば昭和かな?
最近だと、同名の別のバンドかも知れないんでちゃんと調べもせず嘘かも知れないけど、YUCK

あ、僕の日記/ロックバーへのロックのリクエストは嘘を書かないっていうことにしてるので、この前「続きの I からはまた今度」と書いたので、”List of recordings of songs Hal Blaine played on”の続き。

Hまでの続き、I から。

画像”List of recordings of songs Hal Blaine played on”

I Am a Rock-平成27年(2015年)11月1日

I Am... I Said-平成29年(2017年)9月7日

I Get Around (The Beach Boys)-平成28年(2016年)12月25日

I Got You Babe (Sonny & Cher)-平成27年(2015年)1月25日

It's Over-平成25年(2013年)7月21日

Little Honda-平成29年(2017年)5月6日

Make Your Own Kind of Music -平成29年(2017年)7月6日

Monday, Monday (The Mamas & the Papas)-平成23年(2011年)3月20日

Mr. Tambourine Man (The Byrds)-平成22年(2010年)1月23日

Mrs. Robinson (Simon & Garfunkel)-平成27年(2015年)10月31日

画像New Shabbos Waltz-平成29年(2017年)11月10日

The Only Living Boy in New York-平成27年(2015年)7月4日

San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)-平成24年(2012年)11月27日

Secret Agent Man-平成25年(2013年)3月10日

Sloop John B (The Beach Boys version)-平成24年(2012年)11月27日

So Long, Frank Lloyd Wright-平成30年(2018年)2月5日

Song Sung Blue (Neil Diamond)-平成24年(2012年)4月30日

Songs of Our Fathers-平成26年(2014年)2月15日

Stoned Soul Picnic-平成26年(2014年)5月14日

Sugar Town-平成26年(2014年)4月28日

Sunshower-平成29年(2017年)8月4日

Surf City (Jan and Dean)-平成25年(2013年)9月24日

Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To) (Diana Ross)-平成26年(2014年)12月22日

Then He Kissed Me-平成30年(2018年)3月11日

These Boots Are Made for Walkin' (Nancy Sinatra)-平成27年(2015年)11月1日

(They Long to Be) Close to You (The Carpenters)-平成24年(2012年)11月27日

Top of the World (The Carpenters)-平成24年(2012年)11月27日

Wichita Lineman-平成30年(2018年)1月14日

Wouldn't It Be Nice-平成28年(2016年)6月5日

画像暫定の45枚目/96枚(126枚)は、フラワー・トラベリン・バンド

ミュージック・ライフの人気投票、1973年(国内バンド)で、1位のガロに次ぐ、第2位だから、人気があったんだと思う。
今のWikipediaでは日本語はちょっとだけど、英語やスペイン語、韓国語、ドイツ語、ポルトガル語でかなり詳しく解説がある。

リクエストは、

Satori Part I/『SATORI』(1971)-フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin' Band)

ニューイヤーズワールドロックフェスティバル(New Years World Rock Festival)の常連(同人かな?同志っていうのは内田裕也は使いそうだけど僕は嫌いな言葉なんで、常連っていうのがしっくりこなければ、レギュラーってことで)のリクエスト。

ロンリー・ハート(1981)-クリエイション(CREATION)

コミック雑誌なんか要らない/『頭脳警察セカンド』(1972)-頭脳警察

画像高校というのは、部活(ラグビー)をやるところであり、受験勉強をやるところであり、好きな女の子と会えるところであった。

って書いた日記を読み直して、ラグビーのことや受験勉強のことは随分日記/ロックバーへのロックのリクエストに書いたし、好きな女の子のことも、まあ少し。

道徳とか社会の仕組みって意味では、政治や宗教にも興味を持ったけど、ジョン・レノンロックの本を読んだりするくらいだったかな?

そういうことはまたボチボチ書くとして、暫定の46枚目/96枚(108枚)は、これまで2枚選んでいるY.M.O.
もう1枚くらい選ぶかもしれないけど、3枚目。日本語の歌をやったやつ。

リクエストは、この曲だけ英語の歌詞だけど、

WILD AMBITIONS/『浮気な僕ら』(1983)-Y.M.O.

ちょっと歌謡曲っぽいかな?

では、歌謡曲っぽい好きな日本のロックを。

レギュラーじゃないかもしれないけど、ニューイヤーズワールドロックフェスティバル(New Years World Rock Festival)にも参加している、

悲しい色やね〜OSAKA BAY BLUES (1982)-上田正樹

大阪で生まれた女(1979)-BORO

画像暫定の47枚目/96枚(108枚)はプログレ。四人囃子
プラスチックスの佐久間正英(後にブルーハーツをプロデュース)がいたし、1975年、Deep Purple日本武道館公演のオープニングアクト、1978年、Rainbow来日のオープニング・アクトだから、プログレでもないかな?

リクエストは、前にもリクエストしてる、

おまつり(やっぱりお祭りのある街に行ったら泣いてしまった)/『一触即発』(1974)-四人囃子

もう1曲、いや、2曲。
ハル・ブレインとはだいぶ違うけどドラムの吉田達也の、

Tziidall Raszhisst/『ANGHERR SHISSPA』(2005)-高円寺百景 

メンバーの交代を期で分けると、今、第17期だそうだけど、第1期から第6期、第13期のメンバー、久保田安紀がいたあぶらだこ。

暫定の48枚目/96枚(108枚)から、

翌日/『あぶらだこ』(1985)(通称:木盤)-あぶらだこ

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3220,3221,3222,3223,3224,3225,3226,3227,3228)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3234,3235,3236,3237,3238,3239,3240,3241,3242)

LOVELAND, ISLAND/セーラー服と機関銃/夢の途中

画像2019年春のイベント 4月5日(金) バイバイ平成の開催告知があってから、もう2週間になるのだけど、その間、ドラマーのハル・ブレインHal Blaine が亡くなったりして twitter では昔の日記ロックバーへのロックのリクエストを転載したりしていたんで、サイモン&ガーファンクルとか、ビーチ・ボーイズとか、パパス&ママスとか、ジョン・レノンとか、結構リクエストした気になっているんだけど、新しい日記/ロックバーへのロックのリクエストはちょっとお休み。

日本のロック96枚(126枚)は、中学校を卒業して、高校に入学した年、1982年

ロックバーのイベントへのリクエストは、平成に産み落とされた曲ってことだから、平成に発表された日本のロックにしようと思ってるんだけど、30年になる僕の社会人生活丸々なので、ハル・ブレインが参加したレコードの数ほどではないけど、候補曲がいっぱいある。

画像日記/ロックバーへのロックのリクエストは、まだ高校一年生とかなので、せっせと日記を書いても、投票締め切りには間に合いそうもない。

でも、日記/ロックバーへのロックのリクエストを書いたのは、全部平成なんで、ちょっとハル・ブレインが参加した曲をリクエストした日記を。

日記にはその日その時のことだけでなくて、その日その時想い出した昔のことも書いてあるので、ちょっと44枚目/96枚(126枚)を選ぶ参考になるかな?

ハル・ブレインが演奏した曲っていうのはちゃんと覚えているわけではないんだけど、自分がロックバーにリクエストした曲は覚えているので、Wikipedia(English)のアルファベット順に並んだ”List of recordings of songs Hal Blaine played on”を見ながら、その順番で。

日記は西暦を使っているんだけど、和暦の平成で。

リクエストしたのはカバーや別バージョンでハル・ブレインが演奏してないっていうのもありで。
その曲はリクエストしてないんだけど、アルバムをリクエストしたのも。
他の誰かがリクエストしたのも。
厳密にはそのアルバムに入ってないのも。

あ、リクエストした曲は覚えてるけど、日付は覚えてないので、そこはtechnologyの力を借りて検索で。

画像”List of recordings of songs Hal Blaine played on”

A Hazy Shade of Winter-平成20年(2008年)11月26日

America-平成29年(2017年)9月28日

Andmoreagain(Love)-平成21年(2009年)1月10日

At the Zoo-平成20年(2008年)11月26日

Baby Talk-平成29年(2017年)8月4日

Barbara Ann (The Beach Boys)-平成29年(2017年)10月17日

Batman Theme-平成26年(2014年)3月8日

Be My Baby-平成23年(2011年)9月24日

画像Be True to Your School-平成29年(2017年)5月6日

The Boxer-平成20年(2008年)2月24日

Bridge over Troubled Water (Simon & Garfunkel)-平成29年(2017年)9月17日

California Dreamin'-平成23年(2011年)3月20日

California Girls-平成22年(2010年)11月24日

Can't Help Falling in Love-平成27年(2015年)10月13日

Caroline, No-平成27年(2015年)10月13日

画像Cecilia-平成29年(2017年)9月17日

The Daily Planet(Love)-平成21年(2009年)1月10日

Dance, Dance, Dance-平成22年(2010年)5月1日

Darlin'-平成28年(2016年)12月25日

Dead Man's Curve -平成29年(2017年)8月4日

Death of a Ladies' Man-平成28年(2016年)11月14日

Drag City -平成29年(2017年)8月4日

El Condor Pasa, (Simon & Garfunkel version)-平成25年(2013年)4月26日

Evangeline-平成26年(2014年)2月9日

Eve of Destruction (Barry McGuire)-平成22年(2010年)10月4日

画像Everybody Loves Somebody (Dean Martin)-平成25年(2013年)10月13日

Fakin' It -平成20年(2008年)11月25日

Fun, Fun, Fun-平成20年(2017年)5月6日

Go Where You Wanna Go-平成23年(2011年)3月20日

God Only Knows-平成20年(2008年)3月23日

Good Vibrations-平成26年(2014年)10月14日

Half-Breed (Cher)-平成27年(2015年)1月25日

The Happening (The Supremes)-平成25年(2013年)10月9日

Help Me, Rhonda (The Beach Boys)-平成28年(2016年)2月15日

画像Heroes and Villains-平成28年(2013年)10月28日

Homeward Bound-平成30年(2018年)11月25日

How Does That Grab You?-平成30年(2018年)3月11日

H まででも随分あるけど、続きの I からはまた今度。

結構、女性ミュージシャンの曲もたくさんあるなあと思ったから、というわけでもないんだけど、2007年、日記/ロックバーへのロックのリクエストを始めた頃、こんなふうに書いた。

高校というのは、部活(ラグビー)をやるところであり、受験勉強をやるところであり、好きな女の子と会えるところであった。

小学校からの同級生のKと一緒にハンドボール部のマネージャーをやっていた、優しくて可愛い顔のSは席が隣で、遠足(高校でもそういうのがあった)のバスでも隣の席に座って(自分達で席は決めたのだから仲が良かったんだと思う)、Sが僕の肩に頭を乗せて二人とも眠っている写真を撮られたりもしたし、教室の後ろの黒板に誰かが描いた相合傘(あいあいがさ)(今もそんなのあるのかな?)をお互いに消さずに何週間もほって置いたりしたのだから、付き合ってって言っていたら付き合ってくれていたのかも知れないな。

画像二年生になって別のクラスになってしばらくして、サッカー部のアイドル歌手みたいなHと付き合ってるって聞いて、へえ、似合いのカップルだなって思ったから、「好きな女の子」というのとは違うのかも知れないけど、そんなことをよく覚えているんだから、「好きな女の子」だったのかな?

44枚目/96枚(126枚)は、33枚目/96枚(126枚)に『TATSU YAMASHITA ON THE STREET CORNER』を選んだ、山下達郎

リクエストは、一年生の時のラグビー部の夏合宿で行った淡路島とは全く正反対のイメージの、

LOVELAND, ISLAND/『For You』(1982)-山下達郎

どれも持ってないんだけど、ラジオで流れたのか、誰かに借りて聴いたのかの女性ミュージシャンの曲を何曲か。

画像サウンドストリート渋谷陽一のゲストだったかな?
山下達郎のゲストだったかな?

黒のクレール/『Cliché〔クリシェ〕』(1982)-大貫妙子

テレビにも出てた杏里(あんり)の方がよくラジオでかかった、

オリビアを聴きながら/『MERIDIAN-MELON』(メリディアン メロン)(1980)-尾崎亜美

高校では、一年生だけの中学校が一緒だったMとフュージョンやってみてる(エレキギターとキーボード)って言っていたMと、ばったり会ったら「風の歌を聞け」「時をかける少女」の文庫本を貸してくれたFの二人も好きだって言っていた、

う、ふ、ふ、ふ、(1982)-EPO(エポ)

作詞:松本隆/作曲:細野晴臣のこれより、佐野元春の曲の方が好きだったけど、

赤道小町ドキッ(1982)-山下久美子

オールナイト・ニッポンで1回だけやったのを夜更かしして聴いたんだから、結構好きだったのかな?

セーラー服と機関銃(1981)薬師丸ひろ子

画像映画は(TVで見たんだけど)こっちの方が面白かったな。

戦士の休息(1978)-町田義人

曲は、親父もテレビで見て「さよならは別れの言葉じゃなくて、また会う日までの遠い約束ってのはシャレてるな」と感想を言っていた、

夢の途中(1981)-来生たかお

こんな経歴は、知らなかったけど。

デビューアルバム『浅い夢』(1976年10月21日リリース)は、アレンジャー・スタジオミュージシャンとして、元ザ・モップスの星勝や、高中正義、高橋ユキヒロ、小原玪、今井裕、後藤次利等のサディスティック・ミカ・バンドの参加メンバー、さらに、安田裕美大村憲二、是方博邦、斉藤伸雄、村上秀一、浜口茂外也等が名を列ねており、満を持して製作された力作である事が窺える。

周辺関係者から20 - 30万枚セールスは間違いないと目され、荒井由実にも気に入られていた。
しかし、蓋を開ければ6000枚という大きく期待を下回る結果に終わってしまう。

(Wikipedia:日本語)

画像サンディー、SANDii、サンディ&サンセッツは、・・・ちょっと照れるので、とりあえずパス。

証明ならこっちかな?
ジョー山中

え?映画の主題歌なんかロックじゃないって?

あいつらよりは絶対、かっこいいよ。

ママ~ってボヘミアン・ラプソディみたいやけど。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3211,3212,3213,3214,3215,3216,3217,3218,3219)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3225,3226,3227,3228,3229,3230,3231,3232,3233)

HR/HM(1977)(1982)(1989)(1995)

画像2019年春のイベント 4月5日(金) バイバイ平成というのが開催されるそうで、平成に産み落とされた曲ってことなら、平成(へいせい)というのは和歴(われき)だから、日本のロックにしようかな?

1989年平成元年から、2019年平成31年

96枚(126枚)は、いま1982年だから、4月3日(水)の締め切りまでに平成に届くかな?

中学校を卒業して高校に入学した年が1982年だから、大学を卒業して就職した年1989年まで、結構あるから、間に合わないかな?

厳密には、平成は、今上天皇(きんじょうてんのう)(在位中の天皇の呼称)が即位したのが、1989年 (昭和64年)1月7日で平成は1月8日から、平成31年は2019年4月30日までの予定だから、僕の社会人、サラリーマンとしての生活より3ヶ月早く始まって、 2019年の5月以降も、月初めはどばっと休みがあるわけだけど、同じように社会人として、サラリーマンとして働き続けるつもりだから、僕は、(途中ちょこっと学生をやったり入院患者をやったりしていたけど)、平成の間ずっと働いていたことになる。

画像元号(げんごう)っていうのは、一世一元の制(いっせいいちげんのせい)になったのは、じいちゃんの生まれた明治(めいじ)から。
1868年1月25日から、1912年7月30日まで。

大正(たいしょう)は、1912年(大正元年)7月30日から1926年12月25日まで。
0枚目/108枚の録音が一番古いのでも1936年だから、ロックはまだない。

両親や姉や僕が生まれた昭和(しょうわ)は1926年(昭和元年)12月25日から1989年1月7日までで、108枚のうち大体半分の57枚目まで。

残りの半分ほどは、1989年1月8日からの平成(へいせい)だから、洋楽を含めると、この中から3曲っていうのはなかなか難しい。

苦しい時のビートルズってことなら、”Free As A Bird”と”Real Love”と、あと1曲『Love』(2006)からでも、『Let It Be... Naked』(2003)からでもいいと思うし、

ストーンズでも、カバーセルフ・カバーライブ盤を除いて、『Steel Wheels』(1989)『Voodoo Lounge』(1994)『Bridges To Babylon』(1997)『A Bigger Bang』(2005)から3曲ってのもいけそう。

画像ボブ・ディランなら、カウントダウンで選んだ2曲と、なかったので選ばなかった”To Make You Feel My Love”でもいいかな。

でも、昭和/平成って感じでもないな。

やっぱり、日本のロックにしようかな?

でも、~1988年/1989年~ってことじゃなくて、昭和/平成なら、「歌は世につれ世は歌につれ」の歌謡曲の方がいいのかな?

****

1982年、高校の入学前にあまり考えずに2枚アルバムを(2枚一緒に!同じ日に!そもそも沢山曲が入ってるアルバムを!!)買った。
なんかそんなふうにレコードを買ってみたかったんだと思う。

デビュー・アルバムが凄く有名だったリッキー・リー・ジョーンズ2枚目

”Babe”が入ったスティックス

画像ギターはやめたってわけではないんだけど、Wが弾くのを聴いて気恥ずかしくなったのか、MもFも別の高校だったので会わなくなったってことなのか、入学してすぐに体育教師が言った「高校時代にやるべきことは、勉強、クラブ、恋愛の3つだが、本当にやろうと思うなら、3つのうちの2つまでにしておけ。3つともは絶対に出来ないからな」という教えを守ったのか、弾かなくなった。

あ、ギターは、勉強、クラブ、恋愛の3つには関係ないか。
ロックはどんどん好きになったと思うけど、エレキ・ギターやベースは持ってなかったからフォークギターを弾くのが恥ずかしかったのかも知れないな。

43枚目/96枚(126枚)は、ロック・ギターのやつ。1982年

島根県松江市出身の山本恭司のBOWWOW(バウワウ)は上手過ぎたのか、ちょっと上の世代って感じだったかでみんな聴いてなかったと思う。

43枚目/96枚(126枚)、BOWWOW時代の9枚目のアルバムからのリクエストは、

ROCK AND ROLL TONIGHT/『ASIAN VOLCANO』(1982)-BOWWOW(バウワウ

画像もう1曲、2ndアルバムから、

レインボウ・オブ・サバス/『SIGNAL FIRE』(1977)-BOWWOW

世良公則、原田真二ロック御三家って言われた、東京都品川区戸越出身、Char:チャーは結構みんな聴いてたかな?

僕は殆ど聴いてなくて、高知で聴かせてもらって気に入ったやつ。
1989年に出た2枚のアルバムは今は一緒になってるのかな?
高知のバンドでやろうとしたけど、僕が歌えなくて、没(ボツ)にした、

UNDER MY SKIN/『INK CLOUD』(1989)- PINK CLOUD

画像ジョニー、ルイス&チャー (JOHNNY, LOUIS & CHAR)だったかな?
・・・こんなジャケットだったかな?
あ、こっちだ。

UNDER MY SKIN/『aLIVE』(1985)- PINK CLOUD

出たばっかりのかっこいい曲は、Mさんがドラムを叩きながら歌った

Stand/『Stand』(1995)-PSYCHEDELIX

4曲、リクエスト。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3207,3208,3209,3210)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3221,3222,3223,3224)

JAGATARA/KODOMO BAND/LOUDNESS/phew

画像神戸市の公立高校全部が同じ試験だった(あれ?公立といっても県立が多かったから、兵庫県全部一緒だったのかな?他の都道府県はどうだったんだろう?学区ごとかな?あれ?)合格発表の後、すぐに実力試験だったか、クラス分け試験だったか、なんかそういうのがあって(制服を着て行ったので、1982年の3月中だったと思う)、
同時に入学案内とか標準服の販売会とか(昔、学生運動で勝ち取ったとかで制服:せいふくはなくて、着用の義務のない標準服:ひょうじゅんふく。男子は黒の詰襟:つめえりの学生服ってだけで、・・・校章のバッチとボタンだけだったかな?学生帽は、・・・いや、なかったはずだ)、
男子は柔道着の販売(週に1回、体育の他に柔道の時間があった。あ、1982年の話だよ)、
あまり偏ると困るって言うので、第三希望まで書いた美術/音楽/書道の中から選択の芸術科目の届け出。
絵具(えのぐ)や硯(すずり)なんかの案内もあったかな?

友だち同士(一緒に行くことになったT、K、Aと僕の男子4人)で相談したりはしなかったけど、道具を買ってもらわないといけなかったので、親には(親父は単身赴任を終えて家から勤務先に通っていた)相談して、美術を選択した。

画像僕は中学校の時の成績は美術も音楽も一緒で、書道っていうのはなかったけど小学校の1年生・2年生の時には書道教室(習字:しゅうじって言ってた)に通っていて、字は下手くそで汚かったけど書道はそんなに嫌でもなかったんだけど、音楽は音痴だったので絶対に嫌で、絵が好きだったので、油絵の道具を買ってもらって、美術

Tも音痴で、絵がすごく苦手だから、一番マシな書道
KとAは音楽だったかな?

女子5人は、どうだったかな?
クラスは、芸術の選択で分けられていて、誰とも一緒にならなかったから、音楽書道かな?

随分後で、大学時代に初等教育の免状を取る時に最大の難関はピアノって言ってた、1年生の時に書道クラスだった_に訊いたら、

だって、道具持ってるの、習字しかなかったもん

画像部活動は男子4人で校庭を見に行って、
俺とTは足速いし、Kも太ってるわりに足速いし、みんな中学校はクラブも途中で替わって特にこれっての無いから、一緒にラグビー部入ろうか?
Aは俺、水泳にするわ、
なんて言っていたのだけど、

水泳が得意だったKはAと一緒に水泳部、Tは剣道一家だったのでブランクあるけど親父が剣道にしろっていうから(Tは小学校からずっと剣道で、沢山トルフィーを部屋に飾ってた有段者だった)、剣道部

女子は、Kは迷うことなくバレー部で、Kは男前が揃っていたハンドボールの女子マネージャー
吹奏楽部が運動部以上に大変で(県大会で優勝するレベルだった)中学校では吹奏楽部だったKは吹奏楽はやらなかったのだったかな?いや、やってたのだっけ?
中学はみんな途中で替わって、特に得意なのがないWとHは、運動部じゃない文化部だったかな?

画像僕は新入生代表で「誓いの言葉」なんてのをやったのだけど、ラグビー部に入ったら、去年やった先輩がいた。

何の機会だったか覚えていないけどOB・OGが何人か呼ばれて、女子テニス部のキャプテンだったIがH商、秀才の転校生のKがS高の新入生代表だったって聞いた。
入学式では、この新設の中学校から3人も新入生代表が出たって、校長先生が喜んで新入生に話したとか。

クラスではみんななんとなく知ってる(「新入生代表やった奴」)っていうんで、クラス委員。

ラグビー部の挨拶では、2年生から取りあえず入ってたテニス部って言わずに、1年生の分校前の陸上部って言ってた。
ちょっと、インチキかなって思ったけど、まあ、その後も駅伝とかは出てたし、いいかって。

画像ラグビーでは、新入生代表は二代続けてラグビー部かって言われただけで、それでどうということはなかったけど、陸上部だっていうので、結構早くから試合に出してもらったかな?

クラスが違って最初は分からなかったけど、小学校の6年生の時にやめた塾に最後まで通ってた顔を知ってるやつや、僕と同じように途中でやめた知ってる顔が何人かいた。

****

42枚目/96枚(126枚)は、知ったのは何年か後、ストリーキング(1973年から1974年頃流行った、道路を裸で走るパフォーマンス)のニュースで、聴いたのはもっとずっと後の、JAGATARAジャガタラ)の1982年のデビューアルバム。

リクエストは、1曲目。

でも・デモ・DEMO/『南蛮渡来』(1982)-暗黒大陸ジャガタラ

ちょっと選び損ねちゃったのもリクエスト。

前にリクエストした日記は削除しちゃったか、削除されちゃった。
シングルは「あんたはまだまだ子供だよ (子供ばんどのサマータイム・ブルース)」(1982)っていうんだっけ?高校で一緒のクラスのYが好きだった、

サマータイム・ブルース/『We Love 子供バンド』(1980)-子供バンド(KODOMO BAND)

画像いわゆるジャパメタ関西メタル)の絶頂期はもうちょっと後だけど、元レイジーのラウドネスのデビュー・アルバムの1曲目。

LOUDNESS/『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』(1981)-LOUDNESS(ラウドネス)

LOUDNESSの高崎晃プロデュースで、演奏もLOUDNESS。
いっこ年上だから、17歳かな?

CUM ON FEEL THE NOIZE/『魔女伝説〜Messiah's Blessing』(1982)-本城未沙子

アーント・サリーのヴォーカリスト、phew(フュー)の、坂本龍一プロデュースのソロ・デビュー・シングルのA面。

終曲(/うらはら)(1980)-Phew

入学してすぐの文化祭ではラグタイムを弾いたWが好きで、僕に弾いてみせてくれた

BLUE LAGOON/『JOLLY JIVE』(1979)-高中正義

6曲、リクエスト。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3201,3202,3203,3204,3205,3206)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3215,3216,3217,3218,3219,3220)

中島みゆき(1981)/佐野元春(1982)

画像僕は1966年生まれなので、1982年1月から3月が中学三年生で、4月からは高校生
中学校は2年生になる時から始まった新設校で、裏六甲(うらろっこう)を造成してできた町の一番高いところに出来た小学校が新設されてから5年後に、引き続いて造成が進んで別の名前が付けられた町の一番高い所
どちらの町も丘(きゅう)、陵(りょう)、おかっていう意味の名前が付けられていて、小学校、中学校は同じ古い方の町の名前

朝日(あさひ)は町からは直接は見えない海の方から昇るのだけど、小学校から見るのも中学校から見るのも夕陽は谷を隔てた線路の向こうに、最後の弧の縁(ふち)まで綺麗に沈んだ。

高校は、僕は幼稚園の年少組以来になるんだけど、一番近い、1年生の時だけ歩いて通った中学校の隣にある公立のK高も、夕陽の沈む辺り、町からすぐそばではあったのだけど歩道がなくて、ぐるっと回って電車で一駅。

画像文部省(かな?)の発表する、1974年に90%を超えたっていう高校進学率は、95%くらいだったと思うけど、ふたクラスしかなかった新設校の第1回卒業生の高校進学率は100%で、全員が電車に乗って通学をするようになった。

勉強のできる小学生は、表六甲(おもてろっこう)にあった、全国でも東大への進学率が1番っていう私立男子校のN高や、それに続く男子校のK高やR高や女子校のK高へは、中学校から行っていたんだけど、公立高校は殆ど公立中学校の成績の輪切りで決まるっていう感じで、公立のH高、Y高、S高、K高、新設のN高、K高かH商が1割づつって感じで、上位6割くらい。
1割くらい私立専願(公立に女子校はなかったのだけど高校からは女子校って決めてる女子も何人かいて、大学にそのまま進める私立や名門校がいくつかあった)がいて、後の3割が、公立高校に行けないので仕方なく私立って感じ。

新設中学校は、1年生の時には比較的上位で、下位3割には入っていなかった生徒だけが集った感じで、他の中学校と共通の模擬試験なんかをやると、1教科の平均点は100点満点で10点くらい上だったけど、成績表は相対評価で、新設校だから実績はゼロ。

画像1年生の時は5だったのが4になったり、3だったのが2になったり、悪くてもY高って思っていたらなんとかK高でどうだ?とか、滑り止めに必ず私立は受験してください、とか。
丙午(ひのえうま)の迷信で、そもそも人数が1割少ないのだから有利なはずだ、とか、でも新設校を優遇するのはおかしいとか、私立に行くお金がある家計であれば公立は公立にしか行けない家計に振り当てるべきだ、とか、いろんな話があった。

物差し(ものさし)になるような共通の試験もそんなになかったから、先生たちも相当大変だったと思う。

僕は、まあ、そんなに受験勉強という感じではなかったけど、どんな試験でもどんな科目でも最後の1秒まで見直ししたり、暗記が苦手だったので休憩時間に教科書を開いたりするタイプだったかな?

ガリ勉みたいで、カッコ悪いんだ。

本当は、単身赴任でいなかった親父にいいとこ見せようってのと、母親にうるさいこと言われたくなかったっていう、もっとカッコ悪い動機だと思う。

画像試験を受けに行く時に(公立高校は同じ日の試験に先生が手分けして付き添った)初めて分かったのだけど、同じH高を受けたのは、男子が生徒会長で足が速くて無口だったTY.M.O.クラフトワークのレコードと「マイコン」を持っていたK、時々ぽろっとロマンチックなことも言うけど普段はええ大学行ってええ会社入って金持ちになるんやって言っていたAと僕の4人、
女子が大体成績が学年で1番か2番だって言われてたWとH、小学生の時には馬乗りになられたりもしたK、バレーボールばっかりやってる印象だったけど受験勉強を頑張ったって詩を文集で読んでびっくりしたK、看護か介護の仕事につくって言ってたKの5人。

9人っていうのは1割をちょっと超える感じだったけど、競争倍率は1.0何倍かだし、全員合格した。
他の公立高校ではやっぱり相対的に内申点が悪かったのが響いたのか、何人かが落ちて、滑り止めに受けて合格していた私立に行った。

画像40枚目/96枚(126枚)は中島みゆき。

卒業生を送る会でIが弾き語りで歌うって言うので間奏のリードを弾いた(ちょっと間違えたんだけど、奇跡的にうまく繋げて、みんな気が付かなかったって言っていた)「海鳴り」や人気のテレビドラマで流れた「世情」が入ってる『愛していると云ってくれ』(1978)(中島みゆき - Vocals、つのだひろ - Drums、後藤次利 - E.Bass、坂本龍一 - Pf、増田俊郎 - E.Guitar、斉藤ノブ - Lat)も捨てがたいんだけど、40枚目/96枚(126枚)は1981年の。

リクエストは、星勝が編曲の(他の曲は安田裕美松任谷正隆萩田光雄)、

あした天気になれ/『臨月』(1981)-中島みゆき

もう1曲、井上堯之が編曲の、

ファイト!/『予感』(1983)-中島みゆき

画像高校で一番人気があったのはRCサクセションか佐野元春だと思うんだけど、佐野元春はかなり悩む。

1枚目、2枚目の曲が入ってるってことなら、ベスト盤の『No Damage』(1983)なんだけど、やっぱり『Someday』(1982)は落とせないな。両方にすると曲が被るしね。

41枚目/96枚(126枚)からのリクエストは、サザンオールスターズもそうなんだけど、一節一節はすごく耳に残るんだけど、意味や文脈がないんで心地よく響く、洋楽みたいな感じの、

ロックンロール・ナイト/『Someday』(1982)-佐野元春

画像大きな河っていうのは大阪の親戚のところに行く途中、電車で長い橋を渡った淀川(よどがわ)くらいしか知らなくて、たどり着くといつも横たわっているようなものではないと断言できるし、その旅?旅行?迷子?オアシス求めて彷徨った?永住の地を求めたんか?まあ、なんにせよ、横たわるほどの水を湛(たた)えた河に頻繁に巡り会えるなら幸運じゃないかと思う。

夕べ彼女は傷ついた小鳥のようにここを訪れたって、ああ、この人は傷ついた小鳥は決して傷が癒(い)えることがなくそのまま死んでしまうしかないっていう、あの、どうしようもない絶望の経験がないんだ、と思うし、

友だちの一人は遠くサンフランシスコで仕事を見つけたって、そこ、どこや?日本より広いカリフォルニア州のどこかか?アラバマ州か?

幸せなウェディング、一児の父親さって、まだ20代のイメージだけど、たとえそうであっても男が「幸せな結婚」なんて言葉使わんやろ?普通。

画像車の中のロミオとジュリエットって16歳と14歳じゃあ、いや、それは無免許運転?ぼろぼろになった誰かのレザージャケットってさ、あのさ、事故ったんなら一緒に持っていくよ、死んだなら誰かが遺品は持ち帰るさ、捨てたんだろ?ネオンの下できっと夜が明けるまで悪ふざけしてるって?4時半過ぎたらだめだよ、電池が切れるし、ネオンだって死ぬんだ、今夜こそ辿り着きたいって、そこにはいつも河/川が横たわってるんだろ?

って感じなんだけど、でも、僕らも15歳とか16歳だから、やっぱり、もう1枚くらい選ぶかもしれない佐野元春は1982年で。

upset the apple-cart(2007- )への3200曲目のリクエスト

カシミアのマフラーにイタリアのシャツ。
それだけで10万円くらい?30万円くらい?
100万円かな?
ただのスクラップにはなりたくないな

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3198,3199,3200)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3212,3213,3214)

A面で恋をして/So Young/彼女はデリケート(1981)

画像39枚目/96(126)枚はこれまで3枚も選んじゃった1981年のもう一枚。高校受験の年、いや、高校受験勉強の年なんで、その年に聴いていたってことではないと思うし、他の96枚(126枚)と同じように僕は買わなかったレコード。
姉も買わなかったし、父や母が買ったわけでもない。
仲のいい友達も買わなかったけど、買ったのは友達の兄弟姉妹かな?
その兄弟姉妹の友達かな?
その兄弟姉妹の友達の兄弟姉妹かな?
その兄弟姉妹の友達の兄弟姉妹の友達かな?
レコードなんて、自分で買わなくっても、誰かしらが持っていれば、それでよかったのだ。
まあ知らんけど。

1981年に書いた日記の内容はよく覚えていないし、読書感想文もちゃんとは覚えてないけど、小説・の・ようなものと、中学生の主張・の・ようなものは、文集に載って自分でも読んだってこともあるけど、二回書いたんで、よく覚えている。

画像中学生の主張・の・ようなものは市のコンクールに出すとかで、先生が誤字脱字を直して清書(せいしょ)をさせられたし、小説・の・ようなものも文集に載せるって言うんで、M先生が添削(てんさく)して「業者に出すんで、きれいな字で、よろしく」。

どちらも終わり方は、何かをはっきり言った後(あと)の関西人の口癖の(ちょっとニュアンスは違うけど、先に言うこともある)、
「まあ知らんけど」とか、
別にかまへんけど」とか、
よく分かりませんけど」とか、

カッコつけた後の、
「気障(きざ)やね」(もうちょっと文語体だったけど)が最後の一行で、M先生の添削で削られていた。

中学生の主張・の・ようなものの方は、学校代表ってことなので清書の時に削ったけど、小説・の・ようなものは文集に載るなら、絶対に落とせないので、もう一度書いた。

「気障!」くらいにしたかな。
(ここで字を間違えるのは本当にカッコ悪いので、もういちど辞書を引いた。気に障(さわ)る、きざ)

画像1981年くらいからポツポツ買うようになったロック雑誌は、そんなにたくさん買う方じゃないけど買ったら全部読むんだけど、たくさん読んでると段々ライターさんたちの癖みたいのも分かってくるんだけど、相性がいいのは関西出身かな?

”It's All Over Now, Baby Blue”を巡る伝説については、全く正反対の立場なんだけど(僕は「ボーン・イン・ザ・USA」の政治利用っていうようなデマは嫌いだし馬鹿にしているけど、ロックの”伝説”は嫌いじゃない)、
どちらも、なんだか、最後に「まあ知らんけど」とか「まあええけど」っていうのがあったのを、出版だからって添削されたような感じ。

こんなの。
大阪出身の小野島大さん。

”It's All Over Now, Baby Blue”の日本語訳を転載)

本作はボブ・ディランがそれまでのプロテスト・フォーク・シンガーの看板をかなぐり捨て、ロック転向を宣言した歴史的アルバムである。
後半はそれまでのディランらしい生ギター弾き語りだが、前半はバンド演奏だ。
本作発表後の65年7月、ディランはニューポート・フォーク・フェスティバルにロック・バンドを率いて登場したが、電化された音楽を認めない保守的なフォーク・ファンに野次り倒されステージを降りてしまう。
説得されて一人でステージに戻ったディランは目に涙を浮かべながらこの曲を歌ったという。
(略)

画像ちんまり座って鑑賞するような音楽じゃない。
この歌を聴いたらいますぐギターを手に取って、弦を張り、声を張り上げて歌いたまえ。
俺にもできそう」だからやるのではない。
俺もやらなきゃ」と思わせてくれる。
本作は、ただ聞いただけでは完結しない。
聞き手の能動性を激しくかきたて、行動をうながす。
だから「ディランズ・チルドレン」といわれたフォロワーたちが世界中に生まれたのだ。
(略)

小野島 大2005年(48歳か49歳)。『ロックがわかる超名盤100』より)

大阪出身の中山康樹さん。

この曲に関してはいまだ「伝説という名のウソ」が跋扈(ばっこ)している。
ここでも訂正しておかなければならない。
つまりは1965年7月25日のあの出来事。
”伝説”では次のようになっている。
「エレキ・ギターをもったボブ・ディランがステージに登場するやブーイングが起き、それは演奏中ますます高まり、ディランは3曲でステージを降り、数分後フォーク・ギターにもちかえて戻り、涙をため、”すべては終わったよ”といわんばかりに《イッツ・オール・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー》を歌った」。
ちゃいますねん。
4ヶ月前、エレキ宣言ともいうべき『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』が発売され、それ以前のディランのアルバムで最高位の6位を記録した。
エレキ転向は歓迎されていたことになる。
そこで”伝説”が生まれた当日となるが、ディランと急造のバック・バンドは3曲しかエレキ用のレパートリーがなく、観客はアンコール(ブーイングとえらいちがい!)を求めたがかなわず、ディランはやむなくギターをもってステージに戻った。
これが真相、もちろん涙など流していない。
そもそもディランが泣くとでも?

画像ディランの歌とギター、ハーモニカによるソロ。
夜逃げ騒動のようなローリング・サンダーレヴューにあっては一服の清涼剤的効用を発揮する。
ディランのノリもそのように軽いものだが、やや性急にすぎる。

It's All Over Now, Baby Blue
イッツ・オーヴァー・ナウ、ベイビー・ブルー
B. Dylan
『The Bootleg Series Vol.5:Live 1975(The Rolling Thunder Revue)Montreal, The Forum, De Montreal 1975. 12. 4
中山康樹2004年(51歳か52歳)。『ディランを聴け!!』より)

*****

39枚目/96枚(126枚)は、大瀧詠一杉真理佐野元春のナイアガラ・トライアングル(Vol. 2)。

画像リクエストは、

A面で恋をして『NIAGARA TRIANGLE:Vol. 2』(1981)

元歌の一つ、エレクトリック・ギターもエレクトリック・ベースもドラムスもないんで、ちょっとずっこけたけど、

Everyday/『Buddy Holly』(1957)Buddy Holly

大瀧詠一山下達郎伊藤銀次のVol.1から、大阪出身の伊藤銀次が作った、

幸せにさよなら/『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』(1976)

元は沢田研二に提供した曲かな?1枚から1曲なので、佐野元春の方で、

彼女はデリケート/『No Damage』(1983)佐野元春

同級生のMが買ったので買わなかった佐野元春が作った、

So Young/『雨の日は家(うち)にいて』(1981)-山下久美子

5曲、リクエスト。

****

文集に載った小説は、最後の1文が削られていた。
先生、いくら先生でも、教育者たるもの、生徒が書いたものを勝手に直しちゃあかんで。
特に国語の教師ってのは、生徒の書いた文章を勝手に削除するなんて、たとえ二文字か三文字であったとしても、あかんのちゃいます?
まあ、知らんけど。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3194,3195,3196,3197)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3208,3209,3210,3211)

BALLET/BGM(1981)/PURE JAM/TECHNODELIC(1981)

画像38枚目/96枚(126枚)も、36枚目37枚目と同じ年、1981年の発売。

1981年は中学二年生のお正月のあと1週間くらいの冬休みと3学期、二年生と三年生の間の春休み、中学三年生の1学期、夏休み、2学期と、クリスマスから大晦日(おおみそか)までの冬休みで、
その間に2枚のアルバムを出したY.M.O.(Yellow Magic Orchestra:イエロー・マジック・オーケストラ)

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1981年の4月から、初めて日記(の・ようなもの)を(中学生だったけど)大学ノートに書いていた。

いや、初めてっていうのは嘘かな?

小学校の夏休みにはだいたい絵日記が宿題だったし、小学校の6年生の時は、AとIとKの女子三人と、MとYとの男子三人での交換日記や、それにちょっと先だってかMがやろうというので交換ノートのようなのをやっていたな。

画像今でいえばSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)みたいな感じかな?
ラジオ番組へのハガキみたいな感じかな?

中学二年生の時には、4~5人の班(はん)で、担任の先生が間に入っての、ノート。
グループ制だったので、いじめ家庭内暴力自殺といった深刻な感じのことを書く生徒はいなかったようだけど、その年ごろ特有の悩みとか、先生への手紙のような感じ。
ちょっと、サイン帳みたいでもあったかな。

それから、夏休みには、(親父が単身赴任していたし、受験の年だから、自分:母親が勉強をさせないといけないという気持が強かったのか)母から言われて、朝日新聞の『天声人語』を毎日写していた。

もちろん、作文読書感想文は、小学校でも中学校でも、国語(こくご)の授業や宿題で。
社会(しゃかい)や道徳(どうとく)の時間にもあったかな?

画像1981年に発売されたYMOのアルバムは、
2009年11月の日記のコメント欄に書いた、2010年10月の日記では、僕の80年代の日本のロックの第一位に選んでいる『BGM』(1981)と、
『YMO GO HOME!』(1999)のライナーノーツで細野晴臣が「YMOの中で唯一、可能性を秘めたまま発展し損ねた音楽のスタイルがミニマル」と書いた、『TECHNODELIC』(19881)

ミニマルっていうのは、「音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽」(Wikipedia)っていう意味らしいけど、火曜日の坂本龍一のサウンドストリートでもそんなこと言ってたな。

38枚目/96枚(126枚)はどっちにしようか、かなり悩む。

主観的には、・・・
客観的には、・・・
市場における評価なら、・・・

画像日記は女子がだいたいみんな付けてる(着けてる、かな?)って言っていた『Diary』っていうタイトルが付いた日記帳ではなくて、大学ノートだったから、ちょっとカッコつけて『SELF-ESTEEM』っていうタイトルを表紙に付けていた。

self-esteem:自惚れ(うぬぼれ)っていうのを、和英辞書(Japanese-English Dictionary)で引いて付けた。

格好をつけるって言っても、作文や交換日記や手紙やサイン帳やDJやリクエストカードやブログとは違って、唯一、人に見せないやつ

好きな女の子のことは書かなかったと思う。
特に文句のある政治家や宗教家もいなかった。
母親の悪口は少し書いたかな?
でも、結局書くことがあまりなくて、3回か4回くらいで終わった日記。

作文や交換日記や手紙やサイン帳や、おまけに読書感想文も、小説も、中学生の主張も、書かなきゃいけないものが沢山あったんだろうね。

画像作文で褒められて調子に乗ったんだと思うけど、1981年には読書感想文も初めて真面目に書いた。少し前に読んでいた小説。
ほとんどちゃんとやらなかったけど、NHKラジオで「基礎英語」「続・基礎英語」っていうのがあって、テキストも買ってもらってたんだけど、どちらも2歳上の姉が2年前のテキストも持っていて、そのテキストに読書感想文っぽい書評が日本語で書いてあって、面白そうだと思って読んで、実際に面白かった「老人と海」。

じいちゃんが一番大きな和室にいて、入院して退院した後は日当たりのいい洋室に、リクライニング・ベッドを置いて、そこで1980年の初めに死んだので、僕と姉は、あっちの部屋に行ったり、こっちの部屋に行ったりだったけど、僕も部屋をもらっていた。
他に置き場がなかった父と母の、本棚と、洋箪笥と、和箪笥がひとつずつあった部屋なので、その気になれば読む本は沢山あったってことかな?

先に読んでいた「基礎英語」か「続・基礎英語」かの読書感想文だか書評だかの口調(くちょう)が写った(移った)みたいな読書感想文だったけど(モノマネ、盗作と言われても仕方ないと思う)、三年生の国語を担当したM先生が、M先生から聴いてたけど、これ、いいから、学校代表でコンクール出しとくからね、と。

画像400字詰め原稿用紙7枚って言われた小説の宿題は、とてもそんなに書けないだろうと、頭に字数稼ぎの持ってなかったチューリップの歌リフレイン(曲名は夕陽か夕日かよく分からなかったけど、引用はちゃんと書いた。引用元だけで、2行くらい稼げるし・・・)。

中学生の主張の宿題は、原稿用紙4枚で、これも字数稼ぎで、親父の本棚にあって読んでいた自家出版の詩集から、キャンティ・ワインを飲んでどうのこうのっていう詞を転載(有名な人なのか無名なのか知らなかったけど、引用はちゃんと書いた。引用元だけで2行くらい稼げるし・・・)。
あの人、気障で嫌いやわ、と、結婚前は父と同じ職場に勤めていた母が言っていた。

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手紙は、前の小学校のクラスメートから学校の宿題かなんかだった手紙が来てもうまく返事が書けないくらい苦手だったけど、中学3年生の年末には、今まで出したこともない女子にも、沢山、年賀状を出した。
絵は得意だったので、お年玉付き年賀ハガキに、犬のイラストを書いたやつ。
びっくりしたって書いてたけど、全員、スヌーピーのキャラクターや、浮き出る印刷のや、たくさんの色違いのペンを使ったりの年賀はがきを送ってきてくれた。

画像多分、手紙を書くというのが、女子の間で流行っていたんだと思うけど、1981年には、けっこう手紙をもらった。いわゆる、ラブレターだけど、小さな中学校で、僕ら、三年生の男子の3人に1人くらいはちょっとしたファンクラブ(ファンクラブっていうのも流行っていた)があるっていう感じだったから、まあ、普通。

返事はいりません」「このことは誰にも言わないでください」って書いてあったので、その通りにした。

10月か11月だったかの土曜日の夜に明日会いたいと電話して、日曜日の昼前に会って好きだって言って、今からどうするの?と訊かれて三宮にレコード見に行くと言ったのは、あまり数が多くなかった彼女の親しい友達から手紙をもらって、あ、あいつは他に好きな奴いるんだ、俺が好きだって伝わってないんだなって思ったからなんだけど、沢山の女子に年賀状を書いたのは、照れ隠しっていうのもあったんだろうな。

画像1981年のY.M.O.のリクエストは、民族音楽~フォークって感じのホソノさん、ビートルズ~サイケデリックって感じのユキヒロ、クラシック~前衛音楽って感じの教授の唯一の共通点って、テクノ(技術)とポップ(POP)ってことかな?って思うので、

BALLET(バレエ)/『BGM』(1981)-Y.M.O.

ジャム(PURE JAM)/『テクノデリック』 (TECHNODELIC)- Y.M.O.

38枚目/96枚(126枚)は、Y.M.O.のベスト・アルバムは?っていう問い(好きなアルバムは?だったかな?)に、2票(ホソノさんユキヒロ):1票(教授)で多数決ってことで、ホワイト・アルバムみたいな『BGM』(1981)。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3192,3193)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3206,3207)

さらばシベリア鉄道/SOMEDAY(1981)

画像108は、1×(2×2)×(3×3×3)であったり、 仏教での煩悩の数の他、ヒンズー教やジャイナ教でも意味のある数字だそうだけど、69枚か96枚選ぶつもりでいた日本のロックは、同じだと紛(まぎ)らわしいので、108が「12個の約数をもつ6番目の数である。1つ前は96、次は126」(Wikipedia)だそうで、96枚、収まりそうもなければ126枚ってことにしよう。

126=(6 × 7 × 8 × 9)/(1 × 2 × 3 × 4)だそうで、6は僕のラッキーナンバーだし、ちょっと今年中に終わらないかも知れないけど、2+(2×2)+(2×2×2)+(2×2×2×2)+(2×2×2×2×2)+(2×2×2×2×2×2)でもあるし、(4×4)+(5×5)+(6×6)+(7×7)でもある。

37枚目/96枚(126枚)は、1981年
中学二年生の3学期から、中学三年生の2学期。14歳から15歳になった年。
リクエストは、

さらばシベリア鉄道『A Long Vacation』(1981)大瀧詠一

画像僕のブログは日記でもあるので、神戸に帰って乗り降りがし易い大きな車を借りて送り迎え。親父検査を受ける間に読んだ「作文」を。

人の書いたものを無断で転載するのは、これまでもよくやっているんだけど、ご容赦してもらっている。

亡くなったばかりの方が何年か前に、何十年か前のことを書いたものだし、多くの人が読む新聞や雑誌に公表されたものでもないから、かなり悩んだけど、転載させていただくことにした。

何度かご本人の書いたものは無断転載させてもらっている、高橋健太郎さんの先週お亡くなりになったお母さまの書いたもの。

叔母さまが葬儀の際に持って来てくれた、原稿用紙に書かれていたものを、多分、息子さんの高橋健太郎さんがパソコンで打ち直したもの。

コピペで。

画像「小さな生命」

 昭和二十年八月十五日、私は旧満州(現中国東北部)の朝鮮との国境に近い通代という町にいた。弟妹五人とお手伝いのMさんと山に囲まれたこの辺境の小さな町へは、昨日着いたばかりだった。それまでは主都である新京(現長春)にいたのだが、八月九日にソ連軍が参戦してきたために女子供は疎開して来たのだった。父は政府の役人であったので、主都に残り、母も行動を共にしていた。

 敗戦と同時に交通は途絶え、日本人の移動は許されなくなったので、もはや父母の許へ帰ることは出来なかった。私は十五歳、末の妹は二歳だった。疎開者でふくれ上がった小さな町は、日本人だけが固まって一軒の家に四、五世帯がつめ込まれ、いつ祖国に帰れるとも知れない日を送った。年が明け、手持ちのお金は乏しくなり、食料不足のため栄養失調で幼児は次々と死んでいった。山の中腹が墓地となり、毎日のように小さな棺が焼かれる煙がのぼり、土まんじゅうが増えていくのが見えるのだった。我が家の末の妹も大腸カタルをくり返し、鶏のガラに皮をかぶせたほどにやせていた。

画像 その年の八月の末、ようやく帰国の知らせが来た。近所に結核でやせ細った少年がいた。いつも母親や姉に支えられるようにして散歩をしていた。帰国のために集結の日、女世帯のその家族の中に少年の姿は見当たらなかった。鉄道が破壊されて、徒歩の部分もあるので、連れて帰れぬほどの体格の病人は注射で始末されたことが人から人へ伝えられた。この機を逃せば、いつ故国に帰れるか分からないのであったから、誰一人それをとがめるものはいなかった。同じことが、後に我が家にも降りかかって来ようとは、その時は思いもしなかった。

 無蓋車に揺られ一ヶ月余り、乗船の港町に着いた。乗船前の検診の折、衰弱し切った妹を診察した医者や居留民会の世話人達に囲まれて言われた。乗船しても船の中で死ねば水葬にされるだけである。どうしますか…。暗に安楽死を匂わされたのだった。この決断は少女の私には重過ぎた。涙いっぱいの眼でMさんを見た時、Mさんが決然と言ってくれた。奥様にお渡しするまで、どんなことがあっても連れて帰りますと。Mさんとて、その時はまだ二十代であったのに。大人達はそれ以上は何も言わなかった。

画像 十日ほどの航海の間も生命の灯は消えることなく、先に帰国していた母の手に品川駅で渡された。

 妹は現在、背丈こそ伸びなかったが健康で二児の母となり、マメちゃんと愛称されてムジカでマメマメしく働いている。その姿を見るとき、戦争の恐ろしさとは、全ての人間の生命に対する軽視、その感覚の麻痺にあると思う。それは同胞の手で絶たれることさえあるのだから。

 若い人達は自分とは無縁のことと思っているかも知れないが、この何やらいかがわしくなって来た世の中に、いつも眼を光らせていて欲しい。これからも私は、他人の国へ上がり込んで、大それた国家を建設した日本の歴史を憎むとともに、日本人よりさらに多くの犠牲者を出したであろう彼の国の人への謝罪の気持ちを忘れないでいきたい。

(コーラス・サロン 高橋紀代子)

画像1981年のレコードをもう1曲リクエスト。

1981年4月からの火曜日の坂本龍一『B.G.M.』(1981)や『TECHNODELIC』(1981)をかけたし、その作曲、収録のようなのもとても面白かったのだけど、月曜日の佐野元春は、あまり自分の曲はかけなかった印象。

アンジェリーナ」は関西では有名ではなかったんだけど、『BACK TO THE STREET』、『Heart Beat』の2枚のアルバムがなかなかセールスには結びつかず、所属事務所のミュージシャンとの仕事も多かったそう。

サウンドストリートでかかった記憶はないんだけど、同じ事務所だった谷村新司・バンバンのヤンタンにゲスト出演して(ヤンタンなんて不本意だったかもしれないけど・・・)、シングル盤の「Someday」がかかったのははっきり覚えている。
1981年、中学三年生の1学期。

背水の陣で、これで売れなかったら最後だ、とアルバム『SOMEDAY』(1982)を出す1年くらい前。

NHKのDJや、ライブ、大瀧詠一のお薦めミュージシャンとして、段々評判になって行った頃、

いつもラジオにしがみついていたわけじゃないけど、サウンドストリートも、ヤンタンも聴いていた頃の、

SOMEDAY(サムデイ)(1981)-佐野元春

2曲、リクエスト。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3190,3191)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3204,3205)

関西ノーウェーブ/東京ロッカーズ/No N.Y.(→1981)

画像35枚目/108枚は、日本でプレスされた日本盤は『勝手にしやがれ』というらしいのだけど、家に色違いで二枚あるのは『Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols』(1977)で、これはどういう意味なんだろうと辞書を引いて直訳すると、『金玉(きんたま)野郎なんか気にするな。男の拳銃(けんじゅう)ここにあり』って感じかな?
sex というのは、男性という使い方があって、pistol はその形状やジョン・レノンが歌に使った gun と同じように比喩(ひゆ)とすると、sex pistols で、「ちんちん」だろう。
bollocks は、睾丸(こうがん)、金玉(きんたま)、ばかげたこと、たわごと、という意味なので、最初の一節は「金玉(きんたま)野郎なんか気にするな」でよいと思う。

ところが、”Never Mind the Bollocks”は、「オマンコ野郎なんか、・・」という風に日本語に訳されることがある(伏字にしてだけど)。
男性器が女性器に変わってしまうというのは、ちょっと説明がつかない。


画像36枚目/69枚(96枚?108枚?)はINUの『メシ喰うな!』(1981)
MESHIの『犬喰うな!』の方がインパクトがあったと思うんだけど、まあ、食う、というのを喰う、という漢字にしたり、ビックリマーク(!)をつけて、雰囲気が出ているとは思う。
そもそも、INUというのは、レコード作製の為に付けたバンド名ではなくて、その前のバンド名、腐れおめこは既(すで)に改名されていたようだ。

あ、INUって、犬でいいんだよな。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)みたいに、略かな?
関西では、ヤング・タウンをヤンタン、ヤング・リクエストをヤンリクってアナウンサーも正式名称として言うし、湊川公園はミナエン、天神橋筋六丁目は駅名が天六(てんろく)だから、何かの略かな?
淫乱なっとうウンコとか、イガグリ日本橋(にっぽんばし)ユニバーシティとか、一発抜きウルトラとか・・・。

画像INUの前身(ぜんしん)、腐れおめこは1977年に高校生だった町田町蔵を中心に結成されたらしい。
英語だと、The Rotten Cuntって感じかな?
cuntって英語じゃないか
いや、ドイツの哲学者が語源って訳でもなく、カーブが上手く曲がれるように斜面にしているのは cant で、それとは別だと思う。

ペニスとセットで使うヴァギナっていうのは、確か竿の部分と穴の部分をそれぞれ刺して指していた(ペニスは金玉を除くし、ヴァギナは膣:ちつだ)と思うから、ジョン・ライドンの旧ステージ名のジョニー・ロットンとボロックスで The Rotten Bollocksっていうのはいいバンド名だと思うけど、それだと腐れ金玉だ。

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僕は1981年ジョン・レノンが死んだ翌月、中学二年生の三学期から、中学三年生の二学期までで、その時には腐れおめこもINUも知らなかったのだけど、もし知ってたらタイトルから興味を持ったかな?って思う曲をリクエスト。

画像僕らが楽譜だけでやったのはこんな感じじゃなかったし、もし井上陽水の「夢の中へ」は楽譜だけで、重たくて暗いビートだけのINUの「夢の中へ」を聴いていたら、中学二年生とはいえ、大いに混乱していたと思う、

夢の中へ/『メシ喰うな!』(1981)ーINU

おまんこのことをおめこ(京都のブルースバンド、ウエストロード・ブルース・バンド「七転八倒」で♪欲しいのはー♪かわいいあの子の♪(せいのっ)お♪め♪・・・め♪と歌った)と言う大阪出身の町田町蔵は、東京六本木の『S-KENスタジオ』で活動していたバンド、フリクション、LIZARD、ミラーズ、ミスター・カイト、S-KENの、1979年に発売されたオムニバス・アルバム『東京ロッカーズ』(1979)では、フリクションしか認めないって言ってたそうだけど、僕も他のバンドは良く知らないので、坂本龍一プロデュースの、

Crazy Dream/『Friction』(軋轢というのは通称だそう)(1980)フリクション

画像おめこのことをおまんこと言う『東京ロッカーズ』に対抗するように『関西ノーウェーブ』とも呼ばれたバンドのうちの一つ、アーント・サリーは、YOKO ONOは飛ばして聴いていたくらいだから好きではないんだけど、何曲かはいいな、いや、かなりいい、いやいやすごいって思うようになって、好きになったうちの1曲、

醒めた火事場で/『Aunt Sally』(1979)-アーント・サリー

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フリクションは、1971年頃、後に村八分に参加するカント(渡辺作郎)を中心にマルチ・アート集団「○△□(まるさんかくしかく)」が活動し始め、これにレック、チコヒゲも参加したのが、前身だとか。
1975年、レック(ギター)、チコ・ヒゲ(ドラムス)、ヒゴ・ヒロシ(ベース)の3人で「3/3」を結成、1977年、レックはニューヨークへ渡り、コントーションズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスに参加。
レックの後を追ってNYへ渡ったチコ・ヒゲもコントーションズに参加。

画像リクエストは、坂本龍一が一番好きなアルバムと紹介していたブライアン・イーノがプロデュースしたオムニバス盤から、ジェームス・ブラウンのカバーの、

I Can't Stand Myself (James Chance and the Contortions) / 『No New York』(1980)-Various Artists

4曲、リクエスト。

1980年を6枚も69枚(96枚?108枚?)に選んじゃったので、1981年は抑えないと69枚はおろか96枚にも収まりそうもない。

Y.M.O./『B.G.M.』(1981)大瀧詠一/『ロング・バケイション』(1981)は選ばないわけに行かないんだけど、38枚/16年×52年=123.5枚なので、108枚には出来るかな?

でも、洋楽108枚と日本のロック108枚だとおめこ/おまんこのように解り難いのでちんこ/まんこくらいには解り易いような数字にしようと思う。

コモン・ストック(1991-1999)への3200曲目のリクエストは、関東/関西、男声/女声迷うところだけど、2曲ってわけに行かないので、夢の中へ。

upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(3186,3187,3188,3189)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(3200,3201,3202,3203)