upset the apple-cartに行こう

アクセスカウンタ

zoom RSS Ask Me Why(1963)/Come Go With Me(1957)

<<   作成日時 : 2017/07/16 19:29   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像「彼は”Come Go With Me”を歌ってた。
でも歌詞を知らないらしく、代わりにブルースの歌詞を使っていた。
『ダーリン、僕とおいでよ』と歌わず、『たどり着いた場所は刑務所』なんて歌うんだ。
ブルースによくある歌詞でね。
頭の良い男だと思った。それがジョンさ」
(ポール・マッカートニー)
(ある日のtwitter:ポールマッカートニー bot から)

(略)
リヴァプールでは、そうした目新しい音楽があっさりと受け入れられた。
イギリスでは、リヴァプールほどパブジュークボックス(1955年当時、この機械は45回転の7インチ・シングル・レコードと並んで新しい発明品だった)からヒルビリーリズム&ブルースが流れてくる街はなかった。

「イギリスでカントリー&ウエスタンに目をつけていたのは、ロンドン以外じゃリヴァプールだけだった」とレノンは回想している
「ぼくはロックンロールより先にカントリー&ウエスタンを聴いていたし、ロックンロールより先にもうフォークやブルースやカントリー&ウエスタンのクラブがあったんだ」

フォーク・ソングは鉱夫工場労働者のための音楽であり、ブルースは農園で働かされたり都市の貧民街に住まわせられたリした黒人たちの嘆きであり、そしてカントリーは白人のブルースだった。
こうした音楽にレノンとその同世代者たちは影響された。
またこれらの音楽は、当時のイギリス人が主に好んでいた楽観的でナイーヴな音楽に対抗するものとなった。

しかし、そのふたつを分けて考える音楽研究家は少なく、レノンも、その両方を単純に音楽として受け入れていた。
ブルースのさまざまな要素やディズニーの曲、それにショウ・ナンバーの要素はビートルズの音楽にすみずみまで沁みわたっている。
(略)

画像(略)
そして、その1ヶ月後の7月6日にクォリーメンはウォールトンで開催された教会のパーティに出演し、ロニー・ドネガンの<Cumberland Gap>と<Railroad Bill>に加え、リヴァプールのフォーク・ソング<Maggie Mae>をロック仕立てにして演奏した。
伝説によるとこの時レノンはジーン・ヴィンセントの<Be Bop A Lula>も歌ったということだ。
その他にクォリーメンのレパートリーには、デル・ヴァイキングスの<Come Go With Me>やプレスリーの<Hound Dog>と<Blue Suede Shoes>のようなヒット曲もあったものと思われる。

どんな曲が演奏されたにせよ、クォリーメンのステージは、教会にやってきた15歳のポール・マッカートニーをとりこにした。
マッカートニーはレノンに自己紹介し、バンドに加入したいと申し出た。
そしてその場で<Be Bop A Lula>と<Twenty Flight Rock>を軽く歌ってみせた。
それを聴いたレノンは、マッカートニーが歌えるだけでなく、レノン自身がどうしても聴き取ることのできなかった歌詞を知っていることに気づいた。
そして、マッカートニ―はクォリーメンのメンバーとなったのである。
(略)

(The Art & Music Of John Lennon, 『ジョン・レノン大百科』。ジョン・ロバートソン著 速水 丈+奥田祐士訳)

画像1985年頃発売になった日本盤の『The Soundtrack of American Graffiti』(1973)を、A面の1曲目から順番に、2曲ずつ、ちょっと定義を広げた『カバーと元歌』っていうことでリクエスト。
レコード店やレコード制作もやっている長門芳郎さんの解説、ちょっと蛇足の僕の注釈付きで。

Sideー3
8.カム・ゴー・ウイズ・ミー・・・デル・バイキングス

フィラデルフィア、ピッツバーグで結成された黒人3人、白人2人による5人組デル・バイキングスのヒット曲。
1957年に全米4位を記録した。
'63年にディオン、'82年にビーチ・ボーイズでそれぞれヒットもしている。
デル・バイキングスのメンバーの中には後に「エニイ・デイ・ナウ」をヒットさせたチャック・ジョンソンやドイツや日本で「恋はすばやく」のヒットを出したガス・バッカスがいた。
(長門 芳郎)

(注1)フィラデルフィア、ピッツバーグというのは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州、フィラデルフィア群フィラデルフィア市と、ペンシルベニア州アレゲニー群ピッツバーグ市のことを指しているようにも読めるけど、実際は state(州)と区別して Commonwealth (同じように州と翻訳される)と称する4つの州のうちの一つ、ペンシルベニア州 (Commonwealth of Pennsylvania)のピッツバーグにあるアメリカ空軍(U.S.エアフォース)内で、結成されたそうだ。

(注2)50年代のグループで、白人黒人混成というのはとても珍しいことだと思うけど、なるほど、軍隊(partyという訳はもう少し小さな特定の作戦で組織された軍を表す。military force が適当かな?)かあ、と思った。

画像リクエストは、ビーチ・ボーイズの『M.I.U.Album』(1978)から数年後にシングル・カットされた”Come On With Me”にしようかなって思ったんだけど、カバーが得意なビーチ・ボーイズよりも、『The Soundtrack of American Graffiti』(1973)でも”Book Of Love”と並んで大好きなこの曲は、ビートルズで。

ボブ・ディランの”I Want You”と一緒に、ロックバーのパーティ『It's Only Pop Song,But I Like It(2015.10.2)』でリクエストした曲。

Ask Me Why/『Please Please Me』(1963)−The Beatles

元歌って言えなくもない、

Come Go With Me(1957)/The Del-Vikings

は、楽器は間奏のサックス以外は、ドラムス、ピアノが少し聴こえるくらいだけど、コーラスっていうより演奏っていう感じのボーカルのアレンジが凄い。

2曲をリクエスト。

画像


upset the apple-cart(2007- )へのリクエスト(2566,2567)
コモン・ストック(1991-1999)へのリクエスト(2580,2581)

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
Ask Me Why(1963)/Come Go With Me(1957) upset the apple-cartに行こう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる