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zoom RSS Crying In The Chapel/Elvis Presley'65/Orioles'53

<<   作成日時 : 2017/07/29 11:26   >>

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画像僕は1966年生まれなので、1977年にエルヴィス・プレスリーが死んだのは覚えている。
10歳から11歳になる小学校の5年生だから、テレビや新聞のニュースを読んだり聞いたりして、感想も持って、記憶にも残ってる。

ほかの年と合わせて、一番短くまとめてしまうと(ロックの曲はその時に聴いたのではなくて、その年に発表、発売されたもの)、

1977年・昭和52年/11才/キャンディーズ「普通の女の子に戻りたい」・『宇宙戦艦ヤマト』/K小5年X組・学習塾・サッカークラブ
God Save The Queen/『Never Mind Bollocks』(1977)/Sex Pistols
神は女王を救う/セックス・ピストルズ

っていう感じだけど、もちろん他にも記憶はある。

Wikipedia(日本語)の1977年の年表にはプレスリーが死んだ日のことは載っていないんだけど、眺めているといろんなことを思い出す

画像


青酸(せいさん)カリっていう毒の名前を覚えたな。『犬神家の一族』この前だっけ?後だっけ?

嘘つきニクソン、正直カーター」って新聞の見出しか、キャンペーンの標語があったな。

住んでいた神戸に地下鉄ができた。遠かったし、小学生には特に用事もないところだったし、鉄道マニアでもなかったから乗らなかったけど。

200海里(かいり)っていうのを覚えた。1海里は 1852 m。緯度1分に相当する長さ。

春の甲子園では和歌山の高校が優勝して、夏の甲子園では兵庫県の高校が優勝した。学習塾があったりで、どちらも見に行かなかった。

巨人の王選手が、ホームランの世界記録を作った。756号。男子は全員この数字を覚えている。

ハイジャックがたくさんあった。卑怯(ひきょう)だと思った。

チャップリンが死んだ。エルヴィス・プレスリーと一緒で、クラスに悲しんでいる者はいなかったと思う。

画像『The Soundtrack of American Graffiti』(1973)『カバーと元歌』のリクエスト(長門芳郎さんの解説、僕の蛇足の解説付き)。

Sideー4
4.涙のチャペル・・・ソニー・ティルとオリオールズ

ボルティモア出身の黒人5人組ソニー・ティルとオリオールズが1953年に放ったヒット曲。
R&Bチャートで1位を記録。
数多くのカバー・レコードが出ているが、有名なのは'65年3位になったエルヴィス・プレスリー盤、'65年88位になったアダム・ウェイド盤あたり。
パット・ブーン、エタ・ジェイムスロイ・オービソンでヒットした「イッツ・トゥー・スーン・トゥ・ノウ」のオリジナルは1948年にオリオールズが発表したもの。
(長門芳郎)

(注1)「1962年の夏の一夜、4人の若者たちを中心にした青春ドラマ」で、プレスリーがラジオでかからないのはなぜかよく分からない。
サンフランシスコのサンラファエル、ベタルマ周辺のラジオ局では、banされてたのかもしれないね。

(注2)映画の最後でかかるのはビーチ・ボーイズの"All Summer Long"(1964)でこれが一番新しい曲だけど、一番古いのは、この"Crying In The Chapel"(1953)。

画像リクエストは、プレスリーで。

新聞にどんなふうに載っていたかはよく覚えていないんだけど、心臓まひで死亡というのが記事になったのは確かだと思う、

Crying In The Chapel(1965)−Elvis Presley

元歌は、本当は、

"Crying in the Chapel" is a song written by Artie Glenn for his son Darrell to sing.
Darrell recorded it while still in high school in 1953, along with Artie's band the Rhythm Riders.
(Wikipedia)

だそうだけど、

Crying in the Chapel(1953)−Sonny Til & The Orioles

画像もう1曲、これは関係がないけど、ポール・ウェラー

『サージェント・ペパーズ』のピーター・ブレイクがデザインしたジャケットの大ヒットアルバムから、ちょっと地味な曲。

カバーと元歌では、他の曲をリクエストすると思うけど、結局俺は落とせば割れるような陶器の神だったって曲。

Porcelain Gods/『Stanley Road』(1995)− Pall Weller



高校生の時に読んだ本からもう少し。

******

エルヴィスの故郷、ミシシッピー州のテュペロ市は、『テュペロ案内』というバカみたいな表題をつけた、市内のガイド・パンフレットを発行している。
テュペロの地図と名所紹介がのっていて、二五箇所ある「名所」のうちの二四までが、教会なのだ。
そして二五番目が、エルヴィスの生家である小屋と、エルヴィス・プレスリー公園およびユース・センターだ。
レコード店に入ると、エルヴィスのLPは「男性ヴォーカル」のなかに混入されている。
彼のゴスペルのLPは、ほんとによく売れるが、そのほかは、息ながくしかしポツリポツリと売れていく程度だという。
エルヴィス・プレスリーの絵ハガキさえ、テュペロにはない、と、ジェリー・ホプキンスは書いている。
実際に行ってみたら、そのとおりだった。

画像(略)
一歳にもならないときから教会へいっていた南部生まれで軟部育ちの白人少年が、一九五〇年代のはじめに一三、四歳でリズム・アンド・ブルースを聞き、政府提供の貧乏人用のハウジング・プロジェクトに住んでいたという歴史的な事実は、なにごとかを生まなければ生まないほうがおかしい。

エルヴィスが母親に似ているというのは、いいことだった。
父親は、好人物ながら無能小心そうな男で、口が歌をうたうには適していない。
たとえば音楽をきっかけにしたひとつの生命力への衝動というようなものとはあまり縁のなさそうな顔をし、かつてのエルヴィスがそうだったように、とりあわせの非常にわるい服をまとい、はじめの妻にくらべるとどうしようもなくひどい女と再婚している。

エルヴィスの母親思いが真実だとするならば、彼が多くのものを母親からひきついでいる生理的事実からくる本能的な反応にちかい母親孝行であったにちがいない。
父親はサイレント・マジョリティのカリカチュアのひとつみたいな顔をしているが、母親のグラディスはひとめで移民であることがわかる顔立ちであり、なにごとかに対する動物的に鋭い不満を常に持っているような口をしていた。
だから、自分の誕生日に息子がつくってきてくれたレコードで『ザッツ・オール・ライト、ママ』を聞いたとき、自分とおなじ不満を息子もやはり持っていることを知り、その意味で彼女はうれしく思ったはずだ。
(略)

『ぼくはプレスリーが大好き』(片岡義男/角川文庫。昭和49年3月初版発行)

画像

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