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zoom RSS Maybe Baby/Buddy Holly(1958)/The Beatles(1968頃)

<<   作成日時 : 2017/06/11 20:40   >>

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画像さて、バディ・ホリーのレコードを買った時のこと。
季節は覚えていないんだけど、多分、今ぐらいじゃないかと思う。
年ははっきりしている。1985年。
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がヒットした1955年をロックンロール元年とした30周年で、1985年にワーナー・パイオニアから出た『30th Anniversary of Rock & Roll Series』 (監修:木崎義二)のうちの2枚を買った。

ジャケットも発売当初のものを複写した復刻盤。

『Buddy Holly and The Crickets』(「チャーピング・クリケッツ」(1957)の1962年の再発盤)と、
『Buddy Holly』 (1958年のソロ名義でのデビュー・アルバム)。

1985年は、高校を卒業して大学に入学した年。
僕と同級生の多くは18歳だった。

『Buddy Holly』の方の解説は、85. 4. TBS 宮内鎮雄 と署名があるから、M中・M高ICUのテレビ局のアナウンサーが1985年の4月に書いたもの。
レコードの発売も4月か5月かせいぜい遅くても6月だと思う。

画像僕のレコードを選ぶ物差しは、「所有したい」ではなくて

1.聴いたことのない曲を聴きたいから
2.好きになった曲を、いつでも、好きな時に、好きなように、繰り返し聴きたいから

なんだけど、『American Graffiti』を買って聴いて、どうしてもバディ・ホリーだけは、欲しかったんだと思う。

あ、そうすると、『アメリカン・グラフィティ』を買ったのは、1984年(高校二年生)か1985年(高校三年生)ってことになるな。

アルバイトをしてレコードを買うお金はあったと思うし、30周年の復刻盤は、輸入盤と同じ一枚2千円だったけど、もう一つの条件は、曲が重ならないこと

『30周年記念企画』ではバディ・ホリーは5枚出たんだけど、厳選(げんせん)した。

画像「これは落とせない」の第一は、ビートルズがカバーした”Words Of Love”。

それから、”That'll Be The Day”
え?曲が重複するじゃんって?
DJの声が入ってないのを聴きたかったんだ。DJはそれ自体とても面白いんだけど、やっぱり、そのラジオを僕が聞いたわけではないからね。
こんな本を読んだのは、高校一年生だし。

すぐれたロックンロールのシングル盤の役目は、それをラジオで聞いている人たちに音量をあげさせることなのだ。
それさえ果たせば、充分だった。
ジーン・ヴィンセント、エディ・コクラン、あるいは、バディ・ホリーたちのレコードは、聞いている人たちに音量をあげさせる力を持っていた。
エディ・コクランは、よかった。
早い時期にイギリスで自動車事故にまきこまれ、死んでしまった。
なにもかもごっちゃになってぼんやりとした印象しか残っていない一九五〇年代のアメリカン・ロックンロールのなかでも、最も匿名性の高い、完結したロックンローラーだった。

(『ぼくはプレスリーが大好き』:昭和四九年。角川文庫/片岡義男)

画像ジーン・ヴィンセントは、エディ・コクランが死んだときにいっしょにイギリスにいて、脚を片方、いためてしまった。
日本に来たときはすでに脚はそうなっていて、その脚をまっすぐにうしろにひき、ジョニー・レイとおなじように、肉体的な苦痛や個人的な苦悩をうたっているようだった。

(略)
ジーン・ヴィンセントはタフでとがった音だった。
リード・ギターのグリフ・ギャラップやジョニー・ミークスの、おそろしく定石的で耳に入りやすくありながらなにか新しいものをつけ加えている電気ギターに支えられて、ヴィンセントの声は、充分に気ちがい的だった。
リッキー・ネルソンやフェビアンたちとくらべてみるがいい。
ジーン・ヴィンセントも、無名氏にちかかった。
脚の痛みのせいで、カムバックしてはまたいなくなり、レコード会社はよくかわり、いつのまにか死んだエディ・コクランとおなじように、忘れられていった。

バディ・ホリーも死んだ

(略)

(『ぼくはプレスリーが大好き』:昭和四九年。角川文庫/片岡義男)

画像それから、「ペギー・スー」
ジーン・ヴィンセントのうぇーう♪から始まる、ジョン・レノンの『ロックンロール』に入ってる曲。

あとは、ストーンズ。”Not fade Away”

『Buddy Holly and The Crickets』(「チャーピング・クリケッツ」(1957)の1962年の再発盤)の方の解説は、W大出版社で、雑誌で名前を見かけることもあった萩原健太さん。

「ぼくの人生は、いわゆる平穏なものでした。あえて他人に話すほど興味深い出来事もなかったような気がします。(中略)ぼくにはいろいろな趣味があります。ハンティング釣り、革細工、読書、絵画、そしてカントリー&ウエスタンを演奏すること。もしぼくに実力があるようだったらカントリー&ウエスタン・シンガーとして暮らしていきたいと思っていますが、これに関してはじっくりと様子を見なければいけないでしょう・・・・」

(バディ・ホリー:Charles Hardin Holley/高校二年生の時に国語の作文で書いた自己紹介から。萩原健太/『チャーピング・クリケッツ』ライナー・ノーツより抜粋)

画像「確かに教えました。でも正直な話、彼が私のクラスにいたことを思い出したのはあの不幸な事故で彼が亡くなったことを新聞で読んだあとでした。彼は全く普通の子供でしたよ。けっして優秀な生徒ってわけでもなかったし、かといって特に問題を起こす生徒でもなかったし。だから、彼については実は何も思い出せないんですよ」

(バディ・ホリーの通った高校の先生の談話。萩原健太/『チャーピング・クリケッツ』ライナー・ノーツより抜粋)

『カバーと元歌』、『The Soundtrack of American Graffiti』(1973)をA面1曲目から順番に、1985年頃発売になった日本盤なので、レコード店やレコード制作もやっている長門芳郎さんの解説、ちょっと蛇足の僕の注釈付き、は、2曲目のバディ・ホリー。

画像Sideー2
9.メイビー・ベイビー・・・バディ・ホリー

バディ・ホリーがクリケッツ名義でブランズウィック・レコードからリリースし、「ザットル・ビー・ザ・デイ」、「オー・ボーイ」に続いて大ヒットした曲。
1958年に最高17位を記録した。
バディ・ホリーのフォロワーだったボビー・ヴィー、ジム・ゴールドをフィーチャーしたギャラリー、ホリーズなどもレコーディングしている。
(長門 芳郎)

(注1)「ザットル・ビー・ザ・デイ」、「オー・ボーイ」、「メイビー・ベイビー」、「ノット・フェイド・アウェイ」は『バディ・ホリー・アンド・クリケッツ』に収録されている。

(注2)「ペギー・スー」「ワーズ・オブ・ラブ」は『バディ・ホリー』に収録されている。

(注3)片方の脚を引いて歌ったり、演奏するスタイルはジーン・ヴィンセントがオリジナルだと思うけど、ラモーンズがやって、かっこいいからみんなやって、今では誰がオリジナルか分からなくなっていると思う。

リクエストは、華氏500度っていったら、セ氏250度くらいかな?VALLEY:谷っていうのはそういう場所なのかな?ってことでは、バディ・ホリーがファッツ・ドミノをカバーした”Valley Of Tears”(「なみだの谷間」)なんかもいいんだけど、ビートルズで。

高校三年生の文化祭水泳部がビートルズを演奏したんだけど、やつらの誰かが海賊盤を持っていたか、かっこつけて英語の本を買って知ったかで、”Maybe Baby”やってるで、と言っていた。

画像


リクエストは、『Anthology 3』に入れてほしかったなあっていうビートルズ。

元歌はバディ・ホリー。

仮定法過去じゃなくって、普通の未来形だから、楽しくさせたり、悲しくさせたりする「君」は、たぶんきっといつか「僕」を好きになってくれるっていう歌。

20170707 Friday =10th Anniversary
Songs From And To Upset The Apple-Cart

だと、さすがに33年前の30周年は対象外かな?

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